お父さんの作文 2001年度
毎月発行の「園だより」に掲載中
園児のお父さんによるリレー連載の紹介です。


「わたしとお母さん」 2002/01〜
「わたしの子供の頃」
 2001/05〜12

2002/03  さくら組園児保護者 中家 様
2002/02  さくら組園児保護者 高砂子 様
2002/01  さくら組園児保護者 酒巻 様
2001/12  さくら組園児保護者 堀江 様
2001/11  さくら組園児保護者 大嶺 様
2001/10  さくら組園児保護者 中村 様
2001/09  うめ組園児保護者 渡辺 様
2001/08  さくら組園児保護者  辻本 様
2001/07  さくら組園児保護者  大久保 様
2001/06  さくら組・もも組園児保護者 
2001/05  さくら組園児保護者  井上 様

 

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2002/03  さくら組園児保護者  中家 様

 私は、和歌山県の高野山というところで育ちました。弘法大師が開いた町として聞いたことがあると思いますが、お寺の町です。少し普通の町と違った雰囲気です。

 お坊さんの修行の町でもわかるように山に囲まれたところで、もちろんテレビなんてありませんでした。
山で木登りや忍者ごっこなどをして友達と遊びました。冬は少しですが雪も積もりました。

 夏は林間学校の名所としていろいろな所から人が集まってきて、とってもにぎやかで人口が普段の3倍にもなります。何が良くてくるのかと思うこともありましたが、今になってなんとなくわかるような気がします。

  自分の子供のころと比べると今の子供たちはすごいと思います。
一つ一つのサイクルが長く、ひとつのことを1年でもかけてできればよかったのに、今は2カ月、3カ月のサイクルでやっていかなければなりません。子供たちの新しいことに対する対応力に感心させられます。
親としてはもっとゆっくり毎日を楽しく過ごしてもらいたいと思いますが、時代がそうだから仕方がないとあきらめています。

 最後に、右も左もわからない子どもたちをこんなに立派にしていただいた園長先生はじめ先生方、保育園関係者の皆様に感謝いたします。
一番大事な時期を鷲宮保育園で過ごさせていただいたことは誇りと思うと同時に子どもたちの人生の礎になることでしょう。

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2002/02  さくら組園児保護者  高砂子 様

 理由は覚えていませんが、あるとき母が正面に立ち、自分に平手打ちをしてきました。
先輩達のしごきのおかげでスローモーションに見え、ヒョイと軽くよけました。間髪入れず「避けるな!」と母が怒鳴りました。
パチンと音がして「お母ちゃん!」と久々に思いました。
「有り難うございました」と頭を下げて走って逃げました。逃げながら楽しい気分だったのを思い出します。

 ちょっと半端な少年期はチョットビターな思い出しかありません。

 そのころは母をどう呼ぼうかと迷い続け、結局呼ばなくなってしまいました。
その後ようやく「おふくろ」と呼びはじめましたが、今は「おばあちゃん」的な呼び方をTPOに応じて変化させ、使い分けています。今が一番母を呼びやすいように思えます。

 我が子達も自分と同じように悩むのかなと思っています。多分母も同じ思いではないでしょうか。

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2002/01  さくら組園児保護者  酒巻 様

 農家の男兄弟ばっかり、三男で生まれ育った私、とにかく母との楽しかった思い出は少なく、今は亡きおじいちゃんそしておばあちゃんに私たち兄弟は育てられたように思います。

 母はとにかく忙しく、朝は一番早く起き、夜もまた一番遅く寝る。農家には定休日は無く、母にはとても遊んでもらえなかった。
母は働き者で、毎日一生懸命仕事をしてた。そんな母でも時折仕事の合間をみて、おいしいおまんじゅうなどを作ってくれ、おいしく食べました。

  今のように何でも店で買える時代とは違い、手作りで何でも作ってもらった。私たち子供の遊び道具も手作り。
私もこの間保育園で竹馬作りをしました。懐かしい気持ちで竹を切り、完成したときにはすごく満足感がありました。

少し脱線しましたが、このような作文を書く機会を作ってくれたことを感謝いたします。

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2001/12  さくら組園児保護者  堀江 様

 私はここ鷲宮で育ちました。

 この町は昔、もっと田畑の多いところで、小さいころは神社の裏でかくれんぼや缶けり、メンコ、ベーゴマなどで遊びました。
また今のように公園など整っていなかったので、皆の集合場所は学校の校庭。サッカー、野球、1日中空の下で泥だらけになって暗くなるまで遊び、よく母親にしかられたものです。

 今の子供は、物を与えてもらわないと何もできないように思います。
私が幼いころ教えてもらった遊びを、今度は子供たちに伝えていきたいと思います。

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2001/11  さくら組園児保護者  大嶺 様

 私の生まれ育ったのはちゅらさんでおなじみの地方だが、別名台風銀座とも呼ばれている。
子供のころはその台風の接近が大好きで、大きな台風が来るとワクワクしたものだ。

 台風で木が大きく揺れると、ふだんは木の上にいてなかなか捕まえられないカメレオンに似たトカゲや昆虫類が木の下の方に移動してくるので捕まえやすく、よく観察採集に出かけた。

 また近くの海の入江には普段は沖合しか通らない大きな貨物船がたくさん避難停泊しに来るので、台風の通過を待ちきれんばかりに船を見に走った。

 そして台風通過後の海岸にはこれまたたくさんのクラゲやら謎の海草や紋光イカの背骨?など普段目にしないものが多く打ち上げられていた。 イカの背骨?は軽くて白いヨットのような形をしており、大きいのを見つけると自慢しあった。

 子供のころの台風はたくさんのハラハラ、ドキドキ、ワクワクを運んできてくれる地球の掃除屋さんだった。

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2001/10  さくら組園児保護者  中村 様

 私は長崎県佐世保市で子供時代を過ごしました。山と海に囲まれ自然がいっぱいでしたが、坂が多く遊びに行くのも学校へ通うのも大変だったことを思い出します。

 当時、当然テレビゲームは普及しておらず、外遊びがほとんどでした。夏になると友達数人と右手に蚊取り線香、左手に懐中電灯を持ち、近くの林へ虫捕りに出かけました。途中、マムシやスズメバチに出くわしながら目的地へたどりつくと樹液の周りをチェックし、木を蹴ります。更に懐中電灯で木の穴を照らし、蚊取り線香でいぶし、出てきたクワガタなどを捕まえ帽子に入れるということに日が暮れるまで没頭していました。

 あの頃もしテレビゲームがあったら今の子供たちのように夢中になっていたかもしれません。ただ、自然の中から自分の身を危険から守ることなど大切なことをたくさん学びました。
わが子達にも外で遊ぶ楽しさを伝えていきたいと思います。

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2001/09  うめ組園児保護者  渡辺 様

 私が幼い頃の鷲宮は、自然がいっぱい残っていました。
夏になると、田んぼのあぜ道には蛍が飛び交う田舎という言葉がぴったりの所でした。

 遊び場といえば今のように整備された公園など全くなく、自然すべてが遊び場でした。川や池にはコイやフナはもちろん、ライギョ、ナマズ、ヤマメ、うなぎがいました。
釣りはもちろん、手づかみで魚を捕りました。捕った魚は、今では考えられませんが食べました。

 稲刈りが終わると木づるしといって、わらを保存するため期の回りに5メートルくらい積み上げます。その一番上が私たちの秘密の基地でした。

 腹が減れば畑からさつまいもやジャガイモを取ってきて、たきびの中にほうり込み、焼いて食べます。
今では子供たちにはもう話でしか伝えられませんが、そのころにもう一度子供たちといっしょに戻りたいです。

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2001/08  さくら組園児保護者  辻本 様

テレビは白黒だった。足が4本ついていた。画面が映るまで時間がかかった。チャンネルは手で回した。チャンネルの奪い合いをするとチャンネルが取れた。故障しても叩けば直った。日立キドカラーの飛行船が空を飛んでいた。

冷蔵庫にはカギがついていた。ドアはひとつだった。魚や野菜は毎日トラックで売りに来た。大好きなおやつはソーセージだった。ジュースは粉末、自分で作った。プリンやシャーベットも自分で作った。スイカはお風呂で冷やしてお風呂で食べた。

洗濯機はゴムローラーの間を通して脱水した。洗濯板も使っていた。桃太郎の話を聞くと洗濯板を思い浮かべた。当時、洗剤に金、銀、パールが入っていたらしい。

電話は呼び出しと言ってとなりの家に借りていた。銭湯が楽しかった。お年玉に100円札をもらうと嬉しかった。

暗くなるまで遊んでいると誘拐魔が現れた。火遊びするとおねしょした。夜に笛を吹くとヘビが出た。夜更かしするとお化けが出た。ぜいたくを言うと戦争の話をよく聞かされた。

大人はみんな偉かった。お父さんが子供のころの本当の話でした。

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2001/07  さくら組園児保護者  大久保 様

 私が子供のころは今でいう新興住宅地に住んでいました。今とは大分違い、家が小さく庭が広くとってがあったのでどこでも木や花がたくさん植えてあり、近所の家の庭も自由に出入りできて昆虫網を持って遊んだものです。

公園などは無く、神社の境内でかくれんぼやたかおに、石けりといった道具を使わずに大勢で遊べるものを工夫しました。 少し歩くと原っぱや川があり1年に1度遠足と称して近所の友達とお弁当もって出かけ、魚つりや花摘みをして過ごしました。

 今思うとそうした中で近所の人たちとの付き合いや遊び方を学んでいたように思います。現在ではそういう経験を子供たちにさせるのは難しくなってしまいましたが、できるだけ外で遊び、大勢の人の中で自然に親しんで成長してくれたら…と願っています。

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2001/06  さくら組・もも組園児保護者  大谷 様

 私の育ったふるさとは、山間部の小さな町ですが、この前に亡くなった三波春夫さんや、笑点で活躍しているこん平師匠などの学校の先輩がいます。

 米とお酒もおいしく、冬は常に二メートル前後の雪が積もる雪国新潟の越路町という所です。

 そんなわけで子供のころは野山をかけずりまわり、雪が解け春になるとぜんまいや蕨など山菜を採り、オニヤンマが孵化(みよけると言った)する季節になると、朝五時半に起きて家の近くの小川に行って捕まえたり、蝉のみよける季節になると夕方暗くなるまで幼虫を捕まえたり、野山が黄色く染まるころになると栗や山葡萄、山芋などを採り、冬にはスキー、そり、かまくらを作り、雪合戦など四季を通して自然の中で遊び回っていました。

 最近田舎に帰ってもそんな光景も見かけなくなり、寂しくもありますが、自分の子供にはそんな子供のころの楽しみを伝えていきたいと思っています。

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2001/05  さくら組園児保護者  井上 様

 子供のころ木登りが大好きでした。毎日得意になって登っていたものです。
あの松の木、この樫の木、手頃な枝に縄や針金を巻き付けて作った子どもたちの秘密の基地。暗くなるまでいつも遊んでいました。
しかし失敗もしました。木の枝から何度か落ちたこともあり、小学生に入学するまでに骨折を3回、いつも傷だらけの子供でした。

 空き地があけば子供たちで穴を掘る。何度も掘るうちに大きな深い穴に。大人の背丈よりも深い穴。子供たちにとっては大変なことだったと思うが、子供のころは好奇心や楽しさを求め、夢中になって遊んでいました。そして失敗などを重ねることで一日一日自分の世界が大きくなり、成長していったと思います。
いたずらをしては大人たちに叱られ、毎日いろんな体験を重ね大人になりました。

 現在の子供たちにも数多くのことを体験して、自ら考え、工夫をし、多くの友達とともに日々成長していくよう保育園の先生方とともに見守っていきたいと思います。

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