お父さんの作文 2000年度

2000年度

2001/03 うめ組保護者 為ヶ谷様

私の子供のころ

私が生まれ育った所はなにしろ回りは家も少なく田んぼと畑ばっかりなところです。
遊びといえば公園もなく田んぼで野球をしたり、夏といえば近くの川に飛び込んだり泳いだりしました。今はとてもじゃないけどそんなことはできませんが、子供たちにも外でめいいっぱい遊び、元気に育ってもらいたいと思う。

私は小学校のころから父の実家が農家だったので春は田植え、秋には稲刈りを中学生になっても父と一緒にいやいやながらやっていました。
田植えははだしなのでとても気持ち悪く、稲刈りは今は機械でやりますが、そのころはみんな手で刈っていました。稲のもみが体にくっついてとてもかゆい思いをしました。でも今思えばよい体験をしました。

小学校、中学校も給食もなく毎日お弁当でした。冬はアルミの弁当箱で学校で炭で温めてくれました。それも低学年で終わってしまってがっかりした思いがあります。

小学3、4年のころには回りに団地ができ、友だちや遊び方やいろんなことが新しいものばかりの毎日でした。 保育園ではこま回しや竹馬など父母が昔一生懸命友達と遊んだ思い出を行事に加えてもらい、親としても昔のことを忘れず楽しみ、たくさんの仲間を作っていきたいと思います。

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2001/02 うめ組保護者 山崎様

私の子供のころ

今と違いテレビゲームなど無かったので毎日友達と外に遊びに行ってました。

あのころはやる事が決まっていたので子供ながらに変ぼうを求めるようになり、道具を下手なりに改良したり作ったり遊び方を変えたりして楽しんだものです。

例えば竹馬は片足ケンケンで競争したり、棒の先に針金を丸くして付け、そこにクモの巣を何回も貼り付け、虫とり網を作りセミをくっつけて取ったり、針にビニールを付けた釣り竿でカエルが飛びついてくるのをおもしろがったり、ちょっと残酷だったかもしれませんがヤリを作ってとったり。

またテレビも一家に一台があたりまえで、チャンネルの取り合いをしたりと家族のコミュニケーションも多かったと思います。

今は豊かになり家電、電話と自分のものを持っている子供も多く、これからますますどんなふうになっていくのか楽しみでもありちょっと不安でもあります。

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2001/01 さくら組保護者 宮森様

私の子供のころ

温泉で有名な北海道登別の隣町で私は育ちました。家から歩いて三分で海と川があり磯もありました。また隣の家では牛や馬や豚を飼っていました。山も近くにあり家の回りはたくさん自然がありました。

子供のころは今より冬になると雪がたくさん降ったと記憶しています。 車も少なく電話やテレビも小学校に行く前まではなかったので、兄弟や友達や大自然の中で遊んでいました。

夏はよく浜辺や磯で遊びました。トンネルを作ったり磯で小さな魚を取ったりしました。また牧草地で遊んだり道路沿いの林でクワガタやカブト虫を取りに行ったりしました。

冬になれば隣の家の大きな馬そりに兄弟や友達で乗り、遊んでいました。また兄弟で隣の家の牛舎に行って手で牛乳を搾るのを見ていました。 隣のおじさんがふざけて搾った乳を私の顔に「ビューッ」と掛けたのを覚えています。そんな思い出があります。

今のようにゲームやテレビがなかったので兄弟や近所の友達と大自然の中で楽しく遊んでいました。

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2000/12 さくら組保護者 深井様

私の子供のころ

私の子供のころ、幼稚園のときのまずいちばん楽しかった思い出は遠足で羽田空港を見学に行ったことです。目の前で飛行機を見たときは、大きいなとかすごいなとか思うのではなく、早く飛行機に乗りたいなという気持ちでいっぱいでした。

また鷲宮保育園で行っているおゆうぎ会のように大々的なものではないのですが、自分たちで画用紙を使って人形を作り、人形劇を親の前で発表したのもひとつの思い出です。

そして遊びに関しては、とにかく外で遊ぶのが好きで、近所の子供たちと鬼ごっこや神社で木登りをしたり小さい川でザリガニをとったり、特に夏になると朝早く起きてカブト虫とかクワガタムシをとって楽しみました。

今のようにテレビゲームなどはありませんので、体を動かしたり自分たちで周りのものを使って遊んでいました。だから小学校、中学校に進んでも体育だけは得意な科目でした。そのため運動会ではいつもクラス対抗のリレーに出ていたことを思い出します。

勉強することもとても大切なことですが、良く体を動かし自分で楽しい遊びができるようなそんな想像力のある子供になってほしいなと思っています。

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2000/11 さくら組保護者 木村様

私の子供のころ

先日長女が欲しくてたまらなかったカラーゲームボーイをおばあちゃんに買ってもらい喜んでいました。

今時のゲームって変わったなあと思いました。私が子供のころはここまでコンピューター時代ではなかったので、今のようなカッコイイゲームはなく、ブロック崩しやインベーダー(年代が近い方はご存じかと思います)までといったところでしょうか・・・。

さすがパソコン時代だけあって、そのカラーゲームボーイは私の時代のゲームと違い、新しく進化していました。今の子供達はパソコンを学校に取り入れる為、学べるのはうらやましい事です。

私の両親、妻の両親も「昔はあんな遊びをしたり、こんな工夫をしたり・・・」と言ってました。きっと私も子供に同じく「昔はああだった、こうだった」という時代が来るんでしょう。その時代、その時代で満足して楽しく遊んできた遊び方もやっぱり違うなぁ~と感じました。

しかしながら都会と違ってまだまだ鷲宮町は子供を育てるにはいい環境だと思ってます。コンピューター化した時代の中でも自然がある生まれ育った町。緑もある、虫も鳴く、土もある。そんな環境の中で今の子供にはすくすく元気に育ってほしいものです。

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2000/10 さくら組保護者 瀬田様

私の子供のころ

私は生まれも育ちも鷲宮町です。私の小さい頃と今の鷲宮は、ずいぶんと様変わりしました。
三十数年前は自分の家から東武線の電車が見えました。今は家がたくさんできて道路も整備され、住むのには暮らしよくなりましたがその分の自然がなくなりすこしさみしい思いがします。

春にはタンポポ、レンゲ草が畑いっぱいに咲き、夏には家の近くの小川に蛍が飛んできてカブト虫やクワガタをいっぱい捕まえました。今では家の近くでカブト虫を捕まえるところはなくなってしまい、子どもたちに虫などを捕まえる楽しさを教えるのも大変です。
秋には田んぼで三角ベースの野球をやり、おなかがすいたら近所の柿などを食べ(今はむりかな?)冬には自分たちの基地といって土手に穴を掘ったり垣根に古むらなどでかこいを作って遊びました。
今の子どもたちに私たちがやっていた遊びをほんの少しでいいからやらせてあげたいと思います。

最後に一言。私は子どものころ作文を書くのはとっても苦手で何を書いたらいいかわからなくてとっても困ってしまいました。

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2000/09 さくら組保護者 鵜沢様

私の子供のころ

私が生まれ育ったのは東京の大田区です。実家は東急目蒲線の大岡山駅、洗足駅と東急大井町線の北洗足駅のほぼ中間にあります。
家から歩いて十分くらいのところに桜の名所の桜山、日蓮上人が足を洗ったという言い伝えのある洗足池がありよく散歩をしたものです。

洗足池の畔に私が一年間通った洗心保育園があります。当時のことはよく覚えていませんが、友だちと一緒に遊ぶことより一人でいるほうが好きで、毎日園庭にある大きな木の根っこに座り「早く家に帰りたい」などと考えながら洗足池を眺めていました。

小学生になると三才年上の兄とその同級生に混ざって野球、縄跳び、かくれんぼなどして遊びました。
特に野球が好きで毎日のようにやった記憶があります。遊び場は自動車の交通量がそれほど多くなかったので近所の道路でしたが、野球のボールはすぐに他人の家の庭に飛び込んでしまい、その家のおじさんによく睨まれたのを覚えています。

今は昔と違い、家の近くに公園などが多く造られ、外で遊ぶ環境がかなり整ってきています。子供たちには、家の中でテレビゲームばかりやっているのでなく、外に出て汗をかき日焼けして遊ぶことの楽しさを知ってもらいたいと思います。

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2000/08 さくら組保護者 岡田様

私の子供のころ

私の子供のころは今のように高価なおもちゃがあったわけでもなく野山を日が暮れるまで駆け回り、適当な木の枝など身近なものを工夫してよく遊びました。

私の生まれたところは茨城県の牛久というところで、(ウナギで有名ですが)まだまだ自然がたくさん残っている場所です。山ユリを取ってきて庭に植えたりと、いろいろ楽しみもあり「良いところに住んでいたな・・」というのが本音です。

現在、わが家には二人の息子がおりますがやはり現代っ子なのでしょうか、テレビに夢中でキャラクターの物をほしがったりと「ちょっとナー」と思うこともしばしばですが、だからといってすぐ買い与えるのではなく、作り出す楽しみを知ってもらいたいとよく思います。

ありがたいことに保育園に入園してからの長男はあれこれと自分なりに考えこしらえています。それでいいんだ。と私は思います。
誰かに買ってもらったものではなく自分で作ったもので気が済むまで遊ぶ。
それが彼の宝物になっていくのではないか?と思うこのごろです。

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2000/07 もも組保護者 松本様

私の子供のころ

私は子供の頃、たいへんなテレビっ子で、夕方家に帰ると、四歳年上の兄と一緒にテレビにかじりついて見ていました。

当時は沢山の子供向けアニメやヒーローものの番組がありました。

お気に入りは何と言ってもウルトラマンや仮面ライダーで、仮面ライダーの変身ポーズをまねして遊んでいたのを覚えています。(私と同じ世代の方は、みなさんやってていたのではないでしょうか。)

最近新しい仮面ライダー(クウガ)が始まり、息子と一緒にワクワクしながら見ています。
息子もうやはり変身ポーズを一生懸命まねしているので笑ってしまいます。

妻は「こういうのおもしろいの?」と冷めた目をしながら言いますが、そんなときは、「男の野生の血が騒ぐんだよ。」と答えています。

子供の頃テレビっ子だったなんていうのは、威張れることではありませんが、自分の息子と一緒に楽しめるものになったということでは、テレビっ子だったこともまんざら悪いことでもなかったなあと思っています。

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2000/06 うめ組保護者 磯部様

私の子供のころ

私には子供が三人いますが、一番上のお姉ちゃんは、最近生意気な言葉使いをしたり悪いことをしたりするようになりました。

自分も人のことを言えたような子どもでありませんでした。
イタズラをしたり、危ないことばかりして近所の大人によく怒られたものです。

でも今は、怒ってくれた大人たちに感謝しています。まともな人間に育ててもらったと。

今後自分も子供が悪いことをしたらしかって、教えてあげられる大人になりたいと思ってがんばります。

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2000/05 うめ組保護者 相良様

私の子供のころ

「とうさん、可愛い子供3人に囲まれて幸せだろ!」

と5歳の息子に言われ、何でお前からそんな生意気なことを言われなきゃいけないの、誰に似たのかねぇ、と思いつつも自分の保育園時代を振り返ると、実はもっと生意気なガキだった。

勤労感謝の日が近くなると園の行事として、いくつかの班に分かれ、消防署、区役所、警察署などを訪問していた。
そこでは園児の訪問を喜んでくださり、帰りに鉛筆やノートなそのお土産をくださるのが“習慣”のはずだった。

ところが、警察署だけが何もお土産をくれず、私を中心とした警察署メンバーは「他の子ばっかりずるい!」とすねて、保育園をボイコットしてしまった。

すると担任の先生が「あなたたちは働いている人に、ありがとうを言いに行ったんでしょう!物をもらうために行ったの?!」と激怒された。

生意気なガキだっただけに先生の言わんとする意味は非常にわかり、シュンとしてしまった。
今でも勤労と警察が苦手なのは、きっとそのせいに違いない。

その数日後、園にお巡りさんが訪ねて来られ、警察署で撮った記念写真を大きく引き伸ばして一枚一枚私たちに手渡してくださった。
他の班の園児達がうらやましがっていたのは言うまでもない。

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2000/04 さくら組保護者 前田様

わたしの子供のころ

時が過ぎるのは早いもので、私が鷲宮町に引越して三十年が過ぎようとしている。

都会(?)の大宮での遊びは、デパートの屋上での仮面ライダーショーやウルトラマンショーを見たり、公園でジャングルジムやブランコなどで遊んでいました。

そんな私がこの鷲宮町に引越してきて、まず第一に思ったことは 「田んぼだらけの田舎で、これから何をして遊べばよいのか?」 でした。
兄弟がいない私は小学校に入学するまでの間友達ができず、ひとり家の中でテレビを見たりして過ごしていました。
小学校に入学してからは友だちがたくさんできて、いつのまにか田んぼでサッカーや野球をしたり、森林に入ってカブトムシを獲る田舎の子供になっていました。田んぼがなくなった今、現在の子供たちは自然に触れることがなく、ファミコンや家の中での遊び中心で可哀想な気がします。

幸いにも私の子供たち(三人)は鷲宮保育園に入園させて、自然に触れる遊びができて本当によかったと思っています。
これからも鷲宮保育園が《子供たちの憩いの場》として発展していくことを願って見守り続けたいと思います。