お父さんの作文 2006年度

2006年度

2007/03 もも・さくら組保護者 橋本様

私の少年時代の思い出

私の故郷は熊本県です。実家は父が鉄道マンと農業を営む兼業農家でした。

小さい頃の遊び場は海と山で、朝から晩までとにかく一生懸命遊び、無茶もしました。そのせいで何度も病院のお世話になりました。

小さい頃の一番の思い出は家族みんなでがんばった田んぼや畑仕事です。暑い日、汗びっしょりになった私の顔を母は首にかけた手ぬぐいでよく拭いてくれたものです。その汗がしみ込んだ手ぬぐいの匂いが今はとても懐かしく、働き者の母との大事な思い出となっています。

そんな私も父親となり、仕事に追われる毎日を送っています。
汗まみれになって帰る私を娘達は玄関で抱きつきながら迎えてくれます。大変うれしいことです。

最近は日曜日も仕事で娘達には寂しい思いをさせていますが、今は一生懸命働く両親の姿から何かを感じて欲しいと願うばかりです。

最後に、生後11ヶ月から通い始めた保育園生活ももうすぐ終わろうとしています。初めは不安もありましたが、日々成長していく姿を見ることで保育園への信頼が増し、今では楽しい思い出をいただいた園長先生や先生方に感謝しております。

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2007/02 たんぽぽ組保護者 横山様

私のふるさとと少年時代

私は城下町行田市の街中で育ちました。

私の家は餅菓子屋をしていましたので、学校から帰るといつもそこには父と母の一生懸命に働く姿がありました。思い出しますと私の少年時代は家の手伝いもよくしました。一方で外でもよく遊びました。

私の世代は子供が多い世代でしたから、大勢集まっては家の近くの「水城公園」や八幡神社の境内で缶けりやかくれんぼをしました。

あるとき歴史が好きになった私は「さきたま古墳公園」に自転車で行っては宝探しをしていました。考古学者になったつもりでした。公園の遊びはテレビゲームと違って想像力を膨らますことができます。

私のふるさとには、このほか自慢の「古代蓮の里公園」があります。澄んだ空気の中、公園の芝生の小山を元気に駆け上がって見てください。きっと宝物が見つかりますよ。

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2007/01 さくら組保護者 宮西様

子供の匂い

いつも寝る前にあすとを抱いてその匂いを嗅いでいます。これが私の安眠方法です。
子供の匂いというものは何であんなに安らかな気分になるのでしょうか。決していい匂いばかりではなく、たまにはカブト虫のような匂いやおしっこの匂いもしますが、どんな匂いでもホッとします。

自分の子以外の子はどうだろうと思ったとき、こんな気分にはならないと思います。じゃあなぜ自分の子供の匂いは特別なんでしょうか。やっぱり自分の匂いがするからだと思います。
自分の匂いから大人になるにつれて身についてくるいやな匂いを引くと子供の匂いになるのでしょう。

不眠症のあなた!
寝る前に子供の匂いを嗅いでみましょう。

P.S 私は匂いフェチではありませんので誤解しないでください。

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2006/12 もも組保護者 奥貫様

遊びは勉強

新聞やテレビによると最近「疲れた」という小学生が増えているということです。今の子供たちは勉強の時間に追われ、遊ぶ時間も削られているように思えます。それがストレスとなって「疲れた」という言葉が自然に出てしまうのではないでしょうか。

私は久喜市に生まれました。環境には十分恵まれており、広い空地いっぱいに野球をやったり、またお決まりの鬼ごっこやかくれんぼなど、いろいろな遊びをやったものですが、疲れ知らずに遊びに行く毎日でした。
子供はゆとりある自由な時間を与えることで心から遊びを楽しみ、個性や創造性を伸ばせるものだと思います。これこそがなによりもの勉強なのではないでしょうか。

ちなみに鷲宮保育園のカリキュラムは十分な遊び時間があって、我が家の子供たちは「遊び疲れ」ている毎日です。園の先生方ありがとうございます。

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2006/11 たんぽぽ・すみれ組保護者 内田様

私の小さいころの遊び

小さいころを振り返り一番好きだった遊びを思い返してみると、祖母の家にあった三輪車で遊ぶことが好きでよく乗っていました。
三輪車は赤色のフレームでサザエさんのタラちゃんが乗っているあのデザインです。その三輪車は、時にはヒーロー戦隊物のマシンや大空を翔る戦闘機と、あこがれの乗り物に早変わりしたものです。

また、三輪車を使って「焼き芋やごっこ」をしたものでした。売り子が三輪車をひっくり返し、石をペダルのついた車輪の中に入れ、車輪を力一杯回し、遠心力で勢いよく飛び出した石を焼き芋に見立ててお客さんへ渡す。まあ、いわばおままごとです。

なぜ三輪車が焼き芋製造器になるのかわかりませんが、子供が持つ豊かな想像力の中では普通のことだったのでしょう。とても懐かしい思い出です。

私の子供たちは大人になったとき「子供のころの好きな楽しかった遊びは?」と聞かれ、何を思い出すでしょうか?
保育園の暮らしの中でそういう思い出を作って欲しいと願っています。

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2006/10 もも組保護者 清水様

愉快な幸手町の思い出

私の郷里の幸手にはその昔「ロッテリア」を真似た「サッテリア」というハンバーガー屋さんがありました。 昔のことなどで詳しく覚えていませんが、確かメニューが三つぐらいしかなかったと思います。

この「サッテリア」は意外と有名で、私が大学生のとき、熊本出身の人と富山出身の人に本当にあったの?と聞かれて、なんでこんなマイナーな情報が全国区になっているのか不思議に思ったことがあります。

そんな幸手はやじ(クワガタのこと)や魚がとれるところが結構あって、学校から帰ってくると釣竿片手によく川へ行っていました。
テレビゲームもおもしろいですが、外に出てスポーツや自然に触れ合うなど、仮想世界ではなくリアルな世界でさまざまなことを実際に体験し感じ取った経験と知恵は、人生にとっての財産となっていくでしょう。

鷲宮保育園のみんながよく遊びよく学び、そして豊かな人生を送れればいいですね。

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2006/09 もも組保護者 尾形様

私のお母さん

ほんとに背が大きくて怖かったお母さん。
けど、とってもやさしかったお母さん。

子供のころは私はどちらかというと、言うことを聞かなかったほうなので、いつも怒られてばかり。勉強嫌いというか遊ぶことで一生懸命だった私は、小学生の時の宿題なんかいつもそっちのけ。

そんな私にお母さんは
「自分のやるべきことをおろそかにすることは大人になったとき、人様からの信用をなくすことになるんだよ」
といわれました。
あの頃の私にはあまり理解できない話しでしたが、今になってみるとあのときの言葉は大変重みのある言葉だったなと思いました。

自分に与えられた仕事(宿題)をこなして初めて信用される。それの積み重ねが我慢強さや、やり遂げる事の大切さを学べることだと気づかされました。

あのときのお母さんに感謝です。

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2006/08 たんぽぽ組保護者 大塚様

自然豊かな北本市でした

私は昭和49年に北本市で生まれ育ちました。
私の幼少時代の北本は、今と違い自然が多く、夏になると朝は近くの栗畑、夜は近くの水銀灯に集まってくるカブトムシやクワガタムシ、田植えの時期にはザリガニやおたまじゃくしなどをよく捕まえに行っていました。
あの頃はすぐに見つけることができましたが今では探すのが大変です。
昨年子供たちとカブトムシなど虫取りをしに行きましたが、なかなか見つからず疲れてしまいました。

自然以外にも友達と空き地で缶けり、かくれんぼ、竹馬、竹とんぼなど、外で遊ぶのが大好きでした。遊び疲れると友達と一緒に百円玉を握り締め、駄菓子屋さんへよく行ったものです。そこで袋いっぱいお菓子を買ってきては食べ過ぎてしまい、いざ夕食となるとお腹がいっぱいで夕食を食べられず、父親にしかられていました。

今思うとすべてが楽しく良い思い出として心の中に残っています。
私の子供達にも鷲宮町の自然に触れ、たくさんの経験をし、たくさんの友達をつくり、いろいろなことをそこから感じ取り、学んでいってほしいものです。

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2006/07 さくら組保護者 押久保様

吉見百穴の神秘の中で

私は埼玉県の吉見町で生まれ育ちました。
武蔵野の自然に囲まれ、なめ川では釣りをし、うら山ではカブト虫採りをしたり、秘密基地を木の上に作ったり、日が暮れるまで遊んでいました。

また、吉見町は横穴が多く他の町ではできないちょっと変わった遊びで穴の中の探検をしたりし、近所のおじさんに怒られ、よく逃げ帰っていました。

雨が降ると外に出られず家の壁相手にキャッチボールをして父に怒られて、けん玉や積み木をしていました。

いま自分が親になり、我が子には保育園から帰って来たらゲームをするのではなく、外で自分で遊びを考え、工夫をして友達と楽しく元気に遊んで欲しいと思っています。

こうした経験が大きくなったときにいい思い出になってくれることでしょう。

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2006/06 うめ組保護者 吉田様

きょうだいって?

私の家族は、父、母、姉、私の四人家族です。
姉とは六才離れており、仕事で忙しい父と母の代わりに面倒をよく見てくれました。

二人でいることが多かったため姉弟ゲンカもよくしました。一番多かったのはテレビのチャンネル争いでした。六才離れていると見る番組が全く合わずいつもけんかに…。そのころ勝つのは決まって姉でした。

何年かたち私の体も大きくなり力も強くなったころ、けんかはなくなり仲の良い姉弟になりました。今でも嫁に行った姉と家族ぐるみの付き合いをしています。今はたった一人の姉の大切さを実感しています。

現代少子化といわれ一人っ子の家庭が増えています。子供を育てることは簡単なことではないし、いろいろな面で苦労はあると思います。

私の子供も今は一人ですが、私が兄弟のように接することで相手を思いやる気持ちや協力し合うことの大切さ、喜びを学んでほしいと思います。

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2006/05 うめ組保護者 秋山様

私の子供のころ

私は埼玉県熊谷市で生まれました。
その後父の仕事の都合で宇都宮市、金沢市、平塚市と引っ越しました。

子供のころは外で遊ぶのが大好きで、田んぼでカエルを捕まえたり、金沢の雪国に住んでいたときはソリで遊び、また海が近く自転車でよく遊びに行き、暗くなるまで外にいる子供でした。

今はテレビゲームをする子供が増え、また不安な事件も多く、家の中で遊ぶことが多くなってしまいました。

自分の子供には鷲宮保育園での四季を感じることのできる行事を通して自然のすばらしさを知ってもらい、心の優しい元気な子供に育ってもらいたいと思います。
父としてもできる限り一緒の時間を作り、外に出て遊びたいと思います。

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