誕生会・身近なウォッチング14

薫藤園 平成26年春~夏

7月誕生会

午後二時よりボランティア代表-直西勇様、他6名の方々が来園されました、歌と踊りを披露して下さり、楽しんでいただいたあと特養ホールにて、特養の誕生 者4名の誕生会が行われました。用意された三種類のケーキの中からお好みの物を選んでいただくと美味しかったよと喜びの声も多数聞くことが出来、和やかな 雰囲気の中、笑顔あふれる誕生会でした。

ユニット7月誕生会

各ユニットがそれぞれ工夫をした演出や手造りおやつでお祝いしました。ご家族様によるフラダンスも優雅でした!!

東棟利用者様誕生会

6月19日東棟利用者様の誕生会を行いました。誕生会では職員による手作りフルーツポンチを提供しました。利用者様の目の前で器によそりメロンのトッピングを行うと「おいしそうだね!」「早く食べたいな!」と皆様大変喜ばれていました。
誕生者へのプレゼント贈呈では似顔絵入りの色紙と写真アルバムをお渡し「いい物もらっちゃった!」と他利用者様に自慢される姿を見て、次回の誕生会でもより利用者様に喜んで頂けるものを行いたいと感じました。

6月誕生会

特養誕生会を6月17日に行いました。プレゼントの贈呈後ハッピーバースデイの歌を利用者様職員全員で歌いました。
「草津湯もみ歌」のカラオケに合わせて職員が湯もみを行い利用者様にもリズムに乗りながら竹棒を叩いて頂いたり「青い山脈」の曲に合わせてリズム体操をしたりと一緒に参加していただきました。

最後に「小さな世界」の曲に合わせて職員全員でシャボン玉を飛ばし、利用者様、職員とも和やかな時間の中でお祝いすることが出来ました。

5月誕生会

特養5月誕生会は、利用者代表 佐々木榮太郎 様によるハーモニカ演奏『茶摘み』を始め三曲が披露され、皆様自然と口ずさみ癒されていました。
次に誕生者の皆様と、事務所スタッフにもお手伝いして頂き、グラスチャイム(グラスに水を注ぎ音階を作り演奏)を行いました。初チャレンジだった為か?て んやわんやでしたが、『上出来上出来、よかったよ!』等のお褒めの言葉を頂き、利用者様・スタッフが一体となった楽しい誕生会でした。

 

身近なウォッチング 14

岡田十松建立墓碑

羽生市文化財保護審議委員 間仁田 勝 

岡田十松建立墓碑羽生市砂山の島山寺境内に、岡田十松建立の墓碑がある。
文化10年(1813)に神道無念流三代目の祖である岡田十松吉利が父又十郎利達のために建てた墓碑で、正面に父の戒名が、他の3面に岡田家の由緒と十松の履歴が記されている。水戸の学者立原翠軒の撰文及び書で、昭和31年9月27日に羽生市史跡として指定された。

その碑文によると、岡田家は、尾張星崎城主であった岡田長門守善直が織田信雄に殺害されたことにより、子の玄蕃利家は関東に逃げ、下野唐沢山城主の佐野修理大夫房綱に仕えていたが、佐野氏が滅亡したことにより砂山村に隠遁したとある。岡田家によると、砂山の岡田馨氏は18代目にあたるそうである。

岡田十松は、10代目の又十郎利達の次男として明和2年(1765)に砂山村で生まれた。十松は、父利達からの「先祖は名高い名将であった。」との言葉に励まされ、幼いころから剣術の稽古に励んでいた。利達は、そんな十松の才能を惜しみ、15歳の時に志多見村の松村源六郎の道場に入門させたが、引き受けた源六郎も指導の限界を感じ、十松を江戸の源六郎の師である戸賀崎熊太郎暉芳に紹介し、その道場に入門させることとした。十松18歳の時であった。十松の上達は早く、20歳で目録を、22歳で免許皆伝をそれぞれ取得するほどであった。

そんな寛政7年(1795)、十松は、郷里に帰る熊太郎から道場を任されることとなった。任された十松は、戸賀崎道場を麹町二番町から神田猿楽町に移し、名も「撃剣館」と改めることとした。そして教授すること26年、門弟も3,000人に及ぶ江戸第一の道場となり、神道無念流三代の祖と仰がれるようになった。また、水戸藩主德川斉昭から師弟の礼をとられたことから、多くの水戸藩士と交流するようになった。砂山の碑文を記した立原翆軒もその一人であった。

「撃剣館」からは、斉藤弥九郎、江川太郎左衛門、渡辺華山、秋山要助など、幕末に活躍した多くの門下生を搬出している。その一人で文武の全才と言われた藤田東湖は東京牛込宝泉寺の十松の墓碑「撃劔館岡田先生墓碑」に「文政三年八月十五日享年五十六歳」の没年とともに「塚原卜伝や宮本武蔵に匹敵する腕であった」と称賛の言葉を記している。