薫藤園の楽しい暮らし4 誕生会・身近なウォッチングなど

薫藤園 平成27年冬~28年春

平成28年1月 誕生会

新しい年を迎え、6名の方々の誕生会が行われました。職員と利用者様一緒に青い山脈の曲に合わせて手作りのバトンを振り、体を動かし楽しんだ後、職員による伝統芸能でもある傘回しを披露しました。お皿や紙風船、ボール回しに挑戦。なかなか上手くいかない時はハリセンの洗礼を受け、悪戦苦闘しながらの大成功に、「まわった!まわった!すごいねぇ!」という声が上がり、初めて挑戦した職員に拍手喝采。(本園 松井介護士)

平成27年12月 誕生会

12月誕生者6名の方々のお祝いに、職員による手品とジンギスカンの曲に合わせたダンスが披露されました。手品では、ティッシュが一瞬で消えると利用者様は目を丸くし、プリンが消えると、皆様食べたかったのか、「どこにいったんだろう…?」と不思議そうに見ていました。その後はそれぞれの装いで、ジンギスカンの曲に合わせて職員が踊ると笑いあり手拍子あり、皆様大爆笑されておりました。(本園 佐々木介護士)

平成27年11月 誕生会

今月は4名の方々の誕生会に、誕生者のご家族も参加されました。余興による二人羽織に加え、ご主人のカラオケによるずんどこ節の曲に合わせ皆で踊り盛り上がりました。その後誕生者の方より、二人羽織をしてみたいなと希望があり、職員が後ろにまわり、手探りで鼻や口に触ると「そこじゃないよ」と教えながらお化粧されたご自分のお顔を見て「アレ~!」と驚き、満面の笑みで両手を上げ楽しまれていました。(本園 中家介護士)

 

ユニット西棟 誕生会

1月4日にユニット西棟のご利用者様が誕生日を迎えられ、10日に誕生会を行いました。
お祝いのメッセージの後、職員によるマジックショーを行いました。コインの瞬間移動や手の中から物が消える等、次々と行われるマジックに目を丸くして見入っていました。
ひざ掛けと靴下のプレゼントを渡し、ありがとうと言って頂きました。トッピングされたチョコプリンを利用者様全員で食べ、美味しいねと喜んで頂き、ほっこりした気持ちになる誕生会となりました。(ユニット箭内介護士)

 

ユニット東棟 誕生日会とクリスマス会

12月17日にユニット東棟2名のご利用者様の誕生日会と東棟クリスマス会を行いました。
誕生会では、職員とご利用者様で誕生者に「HAPPY BIRTHDAY」の歌を歌い、施設長よりプレゼントが手渡され2名様とも、とても喜ばれていました。
その後、クリスマス会を行い、職員がサンタの衣装を着て「あわてんぼうのサンタクロース」と「ジングルベル」を歌い、おやつに職員の手作りパンケーキを召し上がり、皆様とても楽しまれていました。(ユニット 海澤介護士)

ユニット中棟 お楽しみ会

11月22日にユニット中棟にてお楽しみ会をしました。
大人用の紙芝居を図書館からお借りして、利用者様と職員とで一緒に読みました。「そこはもっとテンポよく読まなくちゃ」と、職員が利用者様にご指導を受ける場面が多々ありました。読み進めていくと、しんみりとお話に聞き入ったり、じっと目を閉じて思いをはせたりと様々な形でお話を楽しまれていました。
紙芝居は好評で、アンコールを頂き2話目も読みました。「またやってね。」と利用者様は笑顔でした。(浅野介護士)

 

身近なウォッチング ⑲

羽生市文化財保護審議委員  間仁田 勝

旧蓮華寺善性院本尊の薬師様

旧須影村(大字須影)には、江戸時代、菩提寺として蓮華寺があった。

蓮華寺は、平安時代末期には創建されていたといわれている須影八幡宮の別当寺として江戸時代の寛永時代に建立された寺院で、正式名称を月光山清浄院蓮華寺といい、開山は寛永7年(1630)に没した僧長義であった。

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開山当時は紀州高野山にある龍光院の末寺であったが、17世紀末に、第5世了恵法印の代に、京都智積院の末寺となり宗派も新義真言宗智山派となっている。新義真言宗とは、高野山金剛峰寺の座主であった興教大師覚鎫が、高野山を離れ、根来山に新たに開設した新しい真言宗のことで、いわゆる高野山の古義真言宗に対し通称新義真言宗と呼ばれている。天正13年(1585)に豊臣秀吉の焼き討ちにより、一旦離散したが、その後、豊臣秀長の庇護のもと奈良の長谷寺に僧専誉により開かれた教学が智山派となり、徳川家康の庇護のもと京都智積院に僧玄宥により開かれた教学が智山派となった。新義真言宗の寺院は羽生市内に多く存在し、須影地区内においても現存する眞光寺(下羽生)、円福寺(下川崎)をはじめとして、廃寺となった蓮華寺、宝光院(加羽ケ崎)、長泉寺(秀安)も新義真言宗であった。真言宗の本尊が大日如来であるように、蓮華寺もその大日如来の化身といわれている不動明王を本尊としていた。

その蓮華寺も慶安2年(1649)には徳川三代将軍家光公により御朱印地として19石5斗余を賜っている。朱印地とは、幕府により出された朱色の印が押されている、いわゆる朱印状により安堵された地が朱印地で、大名から出されたものは黒色の印が押されている黒印状によるところから黒印地といわれた。寺社の所有地には、この朱印地と黒印地のほかに、年貢等を免除された除地や見捨地、そして地蔵堂の管理費に当てるため年貢が免除されている地蔵免地があった。旧蓮華寺も、朱印地のほか、除地、地蔵免地も所有しており、明治4年に県に提出した「社寺跡地処分報告書」には、所有地として約3ヘクタール弱が記されている。境内地も、須影八幡宮、須影小学校、須影運動公園を含む広大な区域であったが、明治5年に廃寺となってからは、所有地の多くが上地され、現在は須影共同墓地、須影富士塚(16号参照)のみが、その名残をとどめているだけである。かつての蓮華寺には、寺領内に、阿弥陀堂、観音堂、そして門徒寺としての東養寺及び善性院があり、それぞれに本尊が祀られていたが、明治5年に廃寺になった折、それらの仏像は、村内の有力檀家に引き取られていったという。

そのうちの東養寺本尊の地蔵菩薩像については、須影川田地区の地蔵堂に安置されていることは前号で紹介した通りで、一見の価値のある素晴らしい地蔵尊である。ご開帳となる8月23日の地蔵盆には是非見ていただきたいと思う。同じ須影地区でその地蔵尊の祠から、そんなに遠くないところに小さな薬師堂があり、そこにきらびやかな薬師如来像が祀られている。廃寺となった蓮華寺善性院の本尊として祀られていた薬師如来像である。

薬師如来像を受け継いだ小礒家も、地蔵尊を受け継いだ屋代家同様、当初は居宅内に安置していたが、「村人を見守るのが薬師様の心」と感じ、敷地内、それもいつでも誰もが拝めるようにと、公道に正面を向けた地にお堂(薬師堂)を設け、そこに安置させた。小礒家の暖かい心が偲ばれる行為である。 肘を曲げた右手は、手のひらを前に向け施与する形をとり、左手には薬師如来特有の人々を助けるための薬壺を持ち、光輝く光背とともに全身金色に輝く神々しい立姿をし、かすかに笑みを浮かべた優しい顔と、見るだけで、心が洗われる仏様である。地蔵菩薩像といい、薬師如来像といい、蓮華寺の仏像には素晴らしいものがある。『仏像の事典』によると、薬師如来は、すべての人々の病気を癒し、飢えてる者には食事を、貧しい者には衣服を、目の不自由な者にはよく見える目を与えるといわれる如来で、阿弥陀如来が来世の極楽往生を説くのに対し、薬師如来は現世の御利益をもたらす如来で、大変ありがたい仏様であるとある。