薫藤園の楽しい暮らし3

薫藤園 平成28年夏~秋

農園クラブ

特養 佐々木職員

毎日暑い日が続く今日このごろ、恒例のグリーンカーテンを今年は目で楽しめるアサガオとゴーヤを植えました。
楽しみを隠しきれない表情で「水をいっぱいあげなきゃね」と挙手されるご利用者様もいらっしゃいました。大きなアサガオの花が咲くと「キレイだね」と喜ばれ、心が癒される暮らしの中に、ゴーヤジュースで健康な身体づくり。ゴーヤパワーで皆様元気に過ごされております。

 

お誕生会

特養 大塚(洋)介護士

5月の誕生会は、六名の誕生者様が中心となり、手作りジャンケン棒を使って勝った方にはお楽しみプレゼントを差し上げる「ジャンケン大会」を行いました。「ジャンケンポーン!」との掛け声に、手を高く挙げ「勝った!×2」と喜ばれる方や、両手を上げてジャンケンをされている方もいらっしゃいました。会場は盛り上がり、誕生者の方はプレゼントが増え皆様に大好評、笑顔あふれる誕生会となりました。

特養 藤城介護士

7月の誕生日会では「カレー・すき焼きじゃんけん」を行いました。このゲームは、料理に必要な具材を上げて頂き2チームに分かれてジャンケンをして料理を完成させるゲームです。皆様に必要な具材を尋ねると、お料理をされていた頃を思い出し、答えて下さいました。材料のカードが増えていく度に歓声が上がり、見事カレーチームの勝利!大きな拍手とともに「今日のお夕飯はなにかしら…?」と盛り上がり、楽しいお誕生日会でした。

 

ボランティアの皆様

藤井看護師

踊り&音楽祭
4月、6月と交流ホールにて数々の楽器を使用し演奏を聴いたり、踊りを観たりと大変楽しませて頂きました。
子供の頃又は若い時の唄を思いだして一緒に歌ったり、踊りの経験のある方もいて自然と手を動かして自分も踊っているようでした。
皆様、とても良い笑顔を見せてくれました。
このような時は皆様いきいきとして普段では見られない真剣な姿がみられました。

 

ご利用者様作品

ご家族様の堀越様にご指導いただきふわふわ色えんぴつ画を作成し、出来栄えに皆様満足されていました!

ご利用者様作品

短歌

小磯和歌子
リオ五輪メダル輝くアスリート 東京五輪の夢は広がる
夏祭り赤きタスキの踊りの輪 弾む鈴の音花笠音頭
朝露に光る芝生のそちこちに うすむらさきのネジリ草咲く

大和田モト江
孫子二人と矢切の渡しへ行った日を 思い出しては写真に見入る

 

身近なウォッチング⑲

羽生市文化財保護審議委員 元薫藤園災害協力会会長 問仁田 勝

勝利の神として愛された須影愛宕神社

ku1609_8-1須影公民館の西側に小高い丘がある。その頂きに「愛宕山大権現」の石宮を祀る祠があり、その石宮には宝暦5年(1755)に建立されたと刻まれている。
『新編武蔵風土記稿』の「須影村」の項に、「八幡社 村の鎮守なり、慶安二年八月二十四日、社領十九石五斗餘を賜ふ、別當蓮華寺 新義眞言宗、京都智積院末、月光山清淨院と號す、開山長義寛永七年九月廿一日示寂、本尊は不動なり、諏訪社 愛宕社 阿弥陀堂 八幡の本地仏なり 鐘楼 寶永三年正月鋳造の鐘なり」とあり、この中の愛宕社がこの愛宕神社のことである。

砂山の愛宕神社同様、この愛宕神社も火伏せの神となっている。
この神社は、旧須影中学校に隣接しているところから、中学生、特に運動部員から愛された神社であった。
愛宕神社が「火伏せの神」であるとともに、神仏集合時代には勝軍地蔵を本地仏として祀っていたことから、「武神」いわゆる「勝利の神」としても崇拝されていた。越後の直江兼続の兜の「愛」はここから来ているという。
運動部の中でも野球部においては、試合の前には、必ず、ここに祈願をして試合に臨んだという。
旧須影中学校の跡地も、現在は須影運動公園となり、須影地区の体育祭が開催されるとともに、ソフトボール、少年野球、グランドゴルフ等の大会等に広く使われている。旧須影中学校運動部のように、愛宕神に祈願し、大会に臨んではいかがでしょうか。

かつて、このあたりは旧利根川が流れていたことがあり、その名残としての砂丘が砂山の地から南羽生駅あたりにかけてつながっていた。この愛宕神社の丘もその一部であった。
須影小礒家文書に、「当領須影村菩提寺之義ハ足利天下之頃ハ上藤井村源長寺旦那与申伝へあり」とあり、また、慶長6年(1601)に羽生藩から出された文書「桑原・佐伯・天野連署状」にも、「須影郷会下山の内に古来源長寺の末寺である浄慶寺と号す寺があるが近年中絶状態である」とある。
古老の話によると、この愛宕神社のあたりが会下山(えげやま)と言われていたという。
この会下山には、かつては藤井の源長寺の末寺であった浄慶寺があったが、中絶状態となり、やがて廃寺となった。そして江戸時代中期となり、その跡地に愛宕神社が建立されたと思える。

また、この愛宕神社に隣接した地に、須影競馬場があった。
神社の南側、須影保育園の西側に位置する地で、競馬場といっても、松林の中や麦畑の中を走る小規模なもので、地域住民が楽しむ草競馬であった。開催日には、露店が立ち並び、戦後のすさんだ世の中に活気を与えるなど、村人にとっては楽しいひと時であった。砂山や須影の人達が馬に乗っていたというように、通常は農業をしている村人が騎手であった。馬もきっと、競走馬として専門に育てられたものではなく、農耕馬を一時 的に競走馬として活用していたのではなかろうか。

人々は、愛宕神社の武神、いわゆる勝利の神に祈願し幸運を託して馬券を買ったのかもしれない。
この競馬場も、昭和23年7月の競馬法の施行により、競馬場を管理することができるのは国及び都道府県のみとされ、民間経営が禁じられたことにより廃止となった。懐かしい思い出の施設であった。
須影愛宕神社は、旧須影中学校の運動部員並びに競馬愛好家に愛された神社であったのである。