薫藤園の暮らしから4 – 誕生会他 2018 夏

薫藤園 平成30年夏

名越の祓・茅の輪くぐり

今年ももう一年の半分まできてしまいました。茅の輪くぐりを行いました。
茅の輪くぐりとは正月から六月まで半年間の罪や穢れを祓い、無病息災を願う神事です。皆さん真剣な表情でくぐっていました。日本の古来からの行事を行うことも大切なことだと考えております。
☆ユニット型 瀧林介護士

介護勉強会 排泄技術

今回従来型では新人職員が2人増え、排泄介助の見直しもあり「ユニチャーム」さんのご協力を得て従来型でも個別対応24時間シートを作りその方に合ったオムツのあて方・時間帯・今何が問題なのか勉強会を通して1人ひとり身につける事が出来ました。
これからも利用者様にとって不快感をあたえない。そして、職員にも負担がかからないように「ユニチャーム」さんのご協力を得ながら向上に努めていきたいと思います。ご協力ありがとうございました。
☆従来型 大塚介護副主任

誕生会

5月の誕生会

今月の誕生会は、職員によるミニコンサート!を行いました。
ピアノとギターでの演奏で懐かしい童謡など三曲を皆様と一緒に歌い、また「このすばらしき世界」をギターで独奏。
誕生者の方からは「すぐそばで職員さんの生演奏が聴けて嬉しい、ありがとう」と涙ぐみ手を差し伸べられました。他の利用者様からも「良かったよ」との声に、胸をなでおろしました。
☆従来型 寺山介護士

5月西棟誕生日会

西棟で誕生会を開きました。職員より「オタマトーン」を使った演奏、利用者様より「ハーモニカ」の演奏で楽しく過ごし、おやつも牛乳を使い、皆で一緒にムースを作り、果物をトッピングしてカップケーキを作りました。笑い声もあり、おいしく楽しくケーキを頂くことが出来ました。
お誕生日おめでとうございます。
☆ユニット型 藤井看護師

6月誕生会(従来型施設)

「ドドソソララソファファミミレレド~♪」今月の誕生会は、誕生者5名様と一緒にグラスチャイムを行いました。事務所の方もおたまトーンをもってかけつけてくれました。「きらきら星・ドレミの歌・富士の山」を演奏すると、初めて見た楽器、おたまトーンに利用者様は「何あれ?可愛いね、面白い!」等の声も上がり楽しまれていました。
最後に皆でカラオケ体操で体を動かし、記念写真では「さいたまポーズ」でハイチーズ!沢山の笑顔を、ありがとうございました。
☆従来型 大塚副主任

西ユニット誕生会

今月のおやつは少し趣向を変えて、シャリシャリのフルーチェを皆さんで食べたのですが、初夏の暑い日だった為、たいへん喜んでいただきました。フルーツものせて豪華に出来上がりました。
1人の方はプレゼントを渡すと「ありがとう」とスピーチまでしてくれました。もう1人の方は、さっそくプレゼントをあけて身に付けてみました。
見て下さい、最高の笑顔だとは思いませんか?
☆ユニット型 川上リーダー

東ユニット誕生会

東ユニット誕生者が入院中のため皆さん、昔1度はやった事があるシャボン玉飛ばしました。
シャボン玉とんだぁ~♪職員の手作りシャボン玉。大きなシャボン玉には歓声が上がりました。
皆様にも吹いて頂き、綺麗なシャボン玉が上がっていきました。少しだけ子供の頃に戻った様な笑顔を見ることが出来て、とても楽しい時を過ごす事が出来ました。
☆ユニット型 黒田職員

7月誕生会

7月10日、誕生者様3名の紹介をさせて頂いた後、一言ずつ挨拶をお願いするとしっかりとした口調で「ありがとう」と、ちょっと照れくさそうに述べられていました。
頭の体操のを行うため、〇×クイズ、穴埋めクイズ、漢字クイズなど様々な問題を用意し、出題すると皆様少し悩みながら答えられ、正解するとにこやかに微笑まれました。職員の手書きの絵を見ながら答えを当てる場面では大きな笑いと笑顔がこぼれ、皆様に喜んで頂けた様でした。
☆従来型 藤城介護士

身近なウォッチング26

 南羽生駅

元薫藤園災害協力会会長 問仁田 勝

今回は、常日頃お世話になっている南羽生駅を取り上げてみた。
各所の駅舎が近代的な駅舎に立て替えられるなか、いまだに木造で、どこか懐かしさを感じる駅である。
明治28年(1895)に東武鉄道会社が創立され、明治32年に北千住駅から久喜駅まで、明治35年に加須駅まで伊勢崎線が開通、そして、明治35年12月27日、加須駅から群馬県の川俣までの工事が着手された。着工時には、いっきょに利根川を渡り左岸側に川俣駅を設ける予定であったが、経費不足となり利根川に架橋できず、やむを得ず、利根川右岸堤防下(羽生側)に一時的な仮駅の「川俣駅」が設置されることとなり、明治36年4月23日に加須駅・川俣駅(仮駅)間が開通した。

出来る出来るという声は数年前から耳にしながら容易にやってこなかった汽車が、久喜駅の交差点を突破してから、坦々として高低の無い平野を一直線に容易に進んで、鷲宮駅、加須駅の二つの停車場を置き、更に羽生駅の停車場が大きな寺の森を後にして準備された。田舎の人達は皆な目をみはってその怪物のような汽車の単独に動いて来るのを見た。鋭い、尖った刺すような汽笛の林の陰に聞えるのを耳にした。また重なり合った雑木林の間から、黒い黄い烟が狼火のようにあげて、地を燃やすような轟音とともに、長い列車の早く動いて現れて来るのを眼にした。

これは田山花袋の『再び草乃野に』の一文である。また、小学校の校長は児童を集めて、

私たちの町も汽車と停車場を持つようになりました。皆さんも嬉しいでしょうが、私も嬉しい。昔の汽車も停車場もない児童であってはいけません。生れ代わった心持で真面目に勉強しなければいけません。行儀も正しくしなければいけません。いつまでも田舎者であっては、汽車に対しても恥ずかしい次第であります。

と演説していたとも記されている。初めて鉄道を眼にした時の様子が伺える文である。
羽生駅と川俣駅(仮駅)は、その時に開駅されたが、南羽生駅の前身である「須影駅」は、5ケ月後の明治36年(1903)9月13日の開駅であった。
その5年後の明治40年8月27日には、利根川架橋も完成し、新たに群馬県側に川俣駅が設置されたことに伴い、利根川右岸の川俣駅(仮駅)は廃駅となった。
しかし、残念なことに新設間もない「須影駅」も、明治41年8月15日には乗降客少量の理由で閉駅となってしまった。大正13年(1924)東武鉄道は伊勢崎線の電化を決定、浅草駅(今の東京スカイツリー駅)・西新井駅間を皮切りに、西新井駅・越谷駅間、越谷駅・久喜駅間、久喜駅・館林駅間と順次、電化工事が進められていった。そのうえ、久喜駅・館林駅間は単線であったことから、複線化工事も同時に行われた。それに伴い、一時廃されていた須影駅も再び開駅された。19年ぶりの開駅であった。それも、当初の駅より100メートル移動しての開駅であった。
その須影駅も、昭和43年9月1日には、南羽生駅と改称されている。
再開駅した時の駅の所在地が旧須影村地内でなく、旧手子林村地内になっていたことも要因の一つであろうか。
この南羽生駅も、平成25年(2013)には発車メロディが導入されるとともに、28年には、エレベーター、スロープ、多機能トイレが設置され、バリアフリー化が推進された。