薫藤園の楽しい暮らし3 – 2018 秋~2019 新春

薫藤園 平成30年秋~31年

9~11月の誕生日会 栁瀬様、竹澤様、蛭間様

ユニット型 箭内職員 

恒例のクイズを始め、福笑い,手作りのモグラたたき,ゴム鉄砲の射的で遊びました。
クイズでは「チコちゃんに叱られる」をぱくり、じゃんけんの最初はグーは何でグーなの?答えがばらばら。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られると大笑い。
福笑いでは、目鼻口等があっちこっちで変顔の出来上がり。モグラたたきにチャレンジしスカーっとしたのか笑顔がいっぱい。射的は、的に当たると「お~」と歓声が出ていました。
なんだかんだで楽しく過ごしました。

 

11月の誕生日会

従来型 清水職員

従来型施設11月の誕生日会は、計りを使ってのゲーム、題して『目方でドン!』を行いました。ビー玉やおはじきを計りに乗せ決められた目盛りに針が合うと、利用者様の間から「やったーすごいわ!」と歓声が上がり手を叩いて喜ばれていました。ピタリと針を合わせた方には、ささやかながら景品を差し上げると、満面の笑みを浮かべておりました。

 

ユニット型渡邉介護士 

11月11日。この日は月生まれの方2人の誕生日会を行いました。おやつに職員手作りのスイートポテトを作りました。普段あまりお食事を食べない方もサツマイモの甘さが美味しかったのかパクパクと食べて完食されました。
また、職員によるピア二カとウクレレの演奏を行い皆様手拍子で歌って下さりました。
プレゼントも喜ばれていて毎日使っていただき嬉しく思います。

11月の誕生日会

従来型 佐藤介護士 

今月の誕生会での催し物は、利用者皆様から「先月の二人羽織楽しかったからもう一度」という希望があり今月も開催!
アイスクリームを口いっぱいに頬張り口のまわりをアイスだらけにした顔を見て大声で笑う皆様と職員一同。みんなで楽しい時間を過ごす事ができました。

 

9月誕生会

ユニット型川上介護士 

西棟の皆でハッピーバースデーを歌い、園長からプレゼントを渡されると、満面の笑みで恐縮してしまう。そんな方が9月の誕生者です。お礼の言葉もビシッと決まっていました。
おやつを召し上がり、カラオケを楽しみました。他の棟の入居者の方や家族の方、看護師も交えてのカラオケだったので、おおいに盛り上がりました。

ユニット型 瀧林介護士 

今回、まず悩んだのは女性誕生者様のプレゼントは何にしようかという事でした。
この方は、洋服・小物はたくさん持っていらっしゃるのでよく考えなくてはなりません。ふと、浮かんだのは女性だから、やっぱりきれいでいたい。では、髪を整えるブラシ・鏡にしようということで拡大鏡を選びました。
プリンをデコレーションしたスイーツを召し上がり紙芝居を職員が演じました。誕生者の方は、満足そうに髪をとかしていました。楽しい時間を過ごして頂けて嬉しく思います。

従来型 中家介護士 

外は少しずつ暑さも落ち着く気候になっていく中、前回大好評だった二人羽織大会を利用者様の方からご要望があり、一緒に盛り上がりました。最初にミニソフトクリームに挑戦すると「ひゃーすごい!口の回りが真っ白だ」と利用者様は大爆笑。続いて職員同士のナポリタンパスタを「ちょいす」するとこれまた口の回りがオレンジ色に!皆様またまた大爆笑され、笑い声の絶えない誕生会でした。

 

身近なウォッチング27 久保堂観音経読誦塔

羽生市文化財保護審議委員・元薫藤園災害協力会会長 問仁田 勝 

南羽生駅から北に徒歩5分のところに小さな御堂があるのを御存じでしょうか。上手子林字八幡地区の如意輪観音を祀る観音堂で、通称久保堂と呼ばれている御堂である。その久保堂の境内に、正面幅約3.3m、横幅約2.1m、高さ約1.3mの台座の上に、これも高さ約2mの巨大な供養塔が2基立っている。その姿は壮観である。その供養塔の表面には、一基は「永代月並観音経読誦(どくじゅ)塔」と、他の一基には「普門品二十万巻供養塔」と刻され、側面に文政2年(1819)3月建立とある。
普門品とは、法華経(妙法蓮華経)のうちの「観世音菩薩普門品」の部分を取り出したもので、一般的にこれを「観音経」という。これらの供養塔は、その観音経(普門品)を一定回数読誦した記念に建てられた供養塔で、村落の安泰を願って造立したものであるという。
普門品二十万巻供養塔の側面には、読誦した度数として、90度以上として5名、60度以上として6名、30度以上として33名の名が刻まれている。また、台石にも造塔に関係した人々の名が刻まれている。これを刻むことにより、大きな御利益(ごりやく)を願ったものと思われる。
また、供養塔の文字は、加賀(石川県)の大乗寺の住職を務めた吉見村出身の愚禅和尚で86歳の時の書といわれている。ただし、愚禅和尚は、4の数を嫌い、年齢にも末尾が4となる歳と40代の歳を避けたので、伝わる歳よりは実際は若いといわれている。これを勘案して推定すると、86歳は67歳となる。
この供養塔のある久保堂の建立年代は不明であるが、明治12年(1879)に内務省により作成された『神社・寺院明細帳』によると、宝永2年(1705)に再建され、正徳5年(1715)に坂東の札所になったとある。
現在の坂東札所をみると、33カ所の中に、埼玉県の札所として、9番慈光寺(ときがわ町)、10番正法寺(東松山市)、11番安楽寺(吉見町)、12番慈恩寺(岩槻区)の4寺があるが、久保堂は含まれていない。
しかしながら、坂東札所は、鎌倉を出発点として、神奈川、埼玉、群馬、栃木、茨城、千葉と6都県と広範囲にわたることから、順番通り巡ることなく参拝されていたことから、そのショートされたルート上に再建されたばかりの久保堂があったことから、札所に準ずる寺院となったのかも知れない。
この久保堂に祀られている如意輪観音は、人々に財宝と福徳をもたらすとともに、知徳をも満たす観音様で、特に女人講である二十一夜講及び二十二夜講の本尊となっている。この地に大地主である名主川辺郷左衛門の屋敷があり、その中の郷左衛門久保(ひさやす)が、屋敷内に観音堂を建立したことから、久保堂と呼ばれるようになったといわれている。
現在の小字は、地内に八幡社があったことから八幡耕地となっているが、江戸時代には小字名は「久保」と呼ばれていた。久保堂がある地とういことから「久保」と呼ぶようになったと思われる。なお、八幡社は明治初期に豊武神社に合祀されている。
明治12年に郡役所が設置された折には、北埼玉郡役所の郡長に本川俣村の掘越庭一郎が就任した時、北葛飾・中葛飾郡役所の郡長として就任したのが上手子林村の川辺郷左衛門であった。
その川辺家も現在は無く、川辺家の屋敷内から移植された富徳寺の正門前にあるマキの木、及び久保堂に隣接した川辺家の墓所(久保霊園)にある墓碑に面影を残すのみとなっている。
久保堂のその脇の道は、不動岡か羽生への近道でもあったことから、羽生に市の立つ日は青縞を背負った婦人たちが多く往来したという。そのようなことから、人々は、久保堂から秀安地蔵堂を経て羽生へ向う道を通称「青縞街道」と呼んでいた。