お父さんの作文 2011年度

2011年度

2012/3 つくし組保護者 木村様

休日の息子

去年の冬、息子の好きな電車を見に行くため、大宮にある鉄道博物館に行きました。
電車を見るたびに「でんでん!でんでん!」と大きな声で叫んでは大はしゃぎの息子。館内をあっちこっち走りまわっていました。そんな息子も博物館内のイベントで汽笛の大きな音がするとびっくりした様子。ママにしっかり抱きついてしまいましたね。はしゃぎ疲れたのか帰りの車の中ではすぐに寝てしまいました。
また、お正月に東京のじぃじとばぁばに会いに行った時、息子の初めてのおゆうぎ会の様子を見せるため、テレビに映像を流そうとすると、恥ずかしいのか「見ないで!」と言わんばかりに怒っていました。照れ屋な一面を見せてくれた一瞬でした。
来年のおゆうぎ会はどうなるか今から楽しみです♪

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2012/2 たんぽぽ組保護者 宮田様

息子の成長

自身の2才の頃の事はすっかり忘れてしまいましたが、息子を見ていると人間性を形成していく上でとても重要な時期だったのだなぁと痛感します。
身体や運動機能力等の目に見えて分かる成長はもちろん嬉しいものですが、普段の会話中に見られる精神的な成長には本当に驚かされます。例えば、やっと喋れるようになった頃には「保育園は楽しかった?」という質問に対して「うん」と答えるのみだったのが、「うん、ブロックで遊んだ」といった具体的なものになり、今では「○○ちゃんと何をして遊んだ」「○○先生としっぽ取りをして一番にしっぽを取った」といった具合に立派に文を組み立てています。
最近では好奇心・探究心に火が付き、自分たちの会話の内容をちゃんと頭で理解したいらしく、会話の途中に「なんでそうなの?」「どうしてそうなんだろうねぇ?」といった疑問が入るようになってきました。吸収力・理解力が強いので間違ったことを身につけてしまわないようなるべくわかりやすく正確な内容を伝えているつもりですが、たまにどこで覚えてきたのだろうといった言動をさも自慢げに口にすることもあるので、一度入った知識を修正することにも苦労をしています。
1月にはお兄ちゃんにもなりました。今後の成長がとても楽しみです。毎日嬉しそうに保育園に向かい、楽しそうに帰って来る息子を見て、園長先生や先生方、お友だち、地域の皆さん、保護者の皆さんには本当に感謝しています。

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2012/1 すみれ・もも組保護者 浅沼様

昔取った杵づか

12月の快晴のお天気の中、保育園でおもちつき大会を開催していただきありがとうございました。
前日には平年より早く初雪を観測し、どうなるかと思いましたが、天気に恵まれ、子供たち以上に楽しんでしまい、筋肉痛になりそうな予感です。
もちつきですが、いつ以来かと思い出してみても、二十数年ぶり? 「ついてください」と言われた時には大丈夫かなと不安でしたが、まさに昔取った杵づかでしょうか。「うまいね!」の中学生たちの言葉に、はしゃぎすぎた自分を後悔しています…。しかし、これもいい思い出となりました。
一人ひとり子供たちもつきました。子供たちもきっと将来もちつきを体で覚えていることだろうと思います。
このもちつきですばらしいと思ったところは、世代を問わず地域交流があるところです。中学生のお兄さん、お姉さんが面倒をみてくれたり、吹奏楽部の皆さんの演奏を聞けたり。今年で20回目の開催とのこと、未来永劫続いていっていただけたらと思います。
地域の皆様方にも心より感謝申し上げます。このようなイベントをたくさん開催していただけるわしのみや保育園に子供たちを預けられて、本当に良かったと思っております。これからもいろいろな催し物を子供共々楽しみにしております。
園長先生や先生方、役員の方の大変さは、本日少しですがお手伝いさせていただき実感いたしました。またご協力できることがあればさせていただきます。
いつも本当にありがとうございます。

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2011/12 すみれ組保護者 赤木様

里山の自然

私は幼少の頃を大宮(今のさいたま市)で過ごしました。私の実家には広大な里山があり、幼少の頃には秘密基地を作ったり昆虫採集をしたり、たくさんの思い出がよみがえります。
特に思い出深い事は、当時好きだった川口浩探検隊の真似をし、友達とともに派手なナレーションを真似ながら探検ごっこに夢中になっていたある日、驚く発見をした事でした。大きな洞穴を見つけたのです。その洞穴は戦争遺産「防空壕」だったのです。その後の話で戦争中のつらい体験や防空壕の話などを聞き、子どもながらに戦争の悲惨さを感じたものです。
里山で学んだことはたくさんあり、大人になって振り返ると自然の偉大さを感じます。私の父は地元の自治会のメンバーと共に里山に蛍の生態系を取り戻す活動をしています。今ではおかげさまで毎年夏ごろには蛍が飛ぶ姿を見ることができます。そんな里山も開発計画などがあり、一時は無くなってしまいそうになり、地元の人たちの運動によって自然を守ることが出来たそうです。
自然の大事さを改めて痛感すると共に、自分の息子にも自然に触れさせ、自然の大切さを教えていきたいと思います。

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2011/11 うめ組保護者 矢野様

可愛い看板息子です

私の家では梨とお米を生産する農業を営んでいます。四季の移り変わりと共に、蕾が膨らみ、花が咲き、葉が茂り、実がなり、畑の風景が変わり、子供にも暑さ寒さの他に四季を感じられる仕事です。
保育園から帰ってくると、長男が畑にお茶を届けてくれます。そこで、一緒に虫を捕ったり、梨の実が大きくなったねなど会話をし、コミュニケーションが自然の中でとれています。
八月、九月には畑で採れた梨を庭先で直売してます。この時期は保育園から帰ると、看板息子となり「こんにちは!」「ありがとうございます!」など、がんばってお手伝いしてくれるようになりました。「大きくなったら俺が梨をやる!」と言ってくれて、親としては頼もしく嬉しい限りです。
四季折々の保育園での行事でも成長がわかるようになってきました。先日行われた運動会についても保育園から帰って来ると練習してきた事を色々話してくれました。当日、見に行くと練習の成果が出ていて、ぶきっちょな我が子が色々なことが出来るようになっていて大変嬉しく見学していました。
保育園ではいろいろな行事があるので、子供の話を聞くのがとても楽しみです。この場を借りて、園長先生をはじめ先生方にお礼を申し上げます。いつもありがとうございます。

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2011/10 すみれ組保護者 伊澤様

東日本大震災で得たもの

私の父親はジャイアンツの長嶋茂雄世代で、当然私も物心がつく前からバットを握らされボールを追いかけていました。
私の娘と同じ3才の頃から自然と野球と触れ合い、体も鍛えられていた為か通っていた保育園ではかけっこは誰にも負けませんでした。その後小学・中学・高校・社会人と野球一筋で過ごしてきました。
特に高校の時には甲子園にも出場する事ができ貴重な体験をしました。当時は阪神淡路大震災の年で、選抜甲子園を目前に控えていた私は震災のあった当時の朝、母親に起こされニュースを見ると神戸が火の海になっており、それを呆然と見ていた両親の悲痛の顔は今でも忘れることができません。

折しも今年は東日本大震災が発生し、当日の妻と娘の泣き叫ぶ顔は今でも頭から離れません。あの震災があってから家族の絆が深まり、家族の大切さ尊さを身をもって見つめなおすことができました。
家族への感謝と敬愛を胸に妻と二人の娘を一生守って行きたいと思います。

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2011/09 つくし組保護者 岩佐様

私の幼稚園時代

私は小さいころ、九州の福岡県に住んでいました。そして小学校入学前の2年間を幼稚園で過ごしました。
実は入園する前に、幼稚園に紛れ込んですべり台で遊んでいるところを発見した母は、先生に「うちの子を返してください」といって連れて帰ってきたそうです。私はまったく覚えていませんが…。
入園後は台の上からダイブして顔から落下し、泣きながら近所のお医者さんへ連れて行かれたことを覚えています。
おゆうぎ会では「勝手にしやがれ」の如く、帽子に見立てたハンカチを舞台から客席へ?投げ込んだりしました。
そして時の大関魁傑(現放駒理事長)が幼稚園にやってきたときには、みんなで果敢にぶつかっていきましたが、お約束通りいいように振り回されました。
お泊まり保育では、よく食べよく眠り、翌朝はみんなで気持ちよくフォークダンスをやったことを覚えています。

縁あって、満1歳で入園させていただいた娘にもわしのみや保育園でたくさんの思い出を作って欲しいと思っています。

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2011/08 つくし組保護者 荒川様

子どもの成長と父親の成長

『昆虫博士になる』 これが私の子どもの頃の夢でした。
蝶が好きだった私は毎日のように蝶の卵を採取し、飼育箱で育てては成長を記録して、羽化した蝶を大空に放していました。蝶は頭上を旋回後、その大きく変身した姿を今でも鮮明に覚えています。

息子は一歳で入園し、毎朝泣きながらの受け渡しとなりましたが、現在は笑顔で進んで先生の方へと向かって行きます。
保育園の昼食時は人一倍の量を食べ、おやつの時間では隣の子のお皿に手を伸ばすという愉快なお話を聞かされ、微笑ましくも申し訳ない気持ちでいます。

最近では自己主張も強くなり、好き嫌いを態度で表わすようになりました。日々の小さな変化が親にとっては大きな喜びです。

成長している息子を目の当たりにする事で家族に笑顔が生まれ、父親としての自覚を改めて感じます。わしのみや保育園という世界に放たれた息子が大きく羽ばたいて成長していく様子を、記録に残して見守りたいと思います。

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2011/07 もも組保護者 島仲様

保育園の思い出

私は子供のころ騎西町(今の加須市)に住んでいました。
私も私の娘と同様、両親が共働きだったため、保育園に通っていました。両親が言うには、当時の私は引っ込み思案で人見知りが激しかったため、保育園に行くことを相当嫌がったそうです。夕方いつも決まってべそをかきながら母の迎えを待っていました。見かねた母は保育園に通わすことを諦め、自分の職場につれて行くようになりました。私自身あまり記憶には無いのですが、この話は今でも耳にタコができるくらい聞かされます。

変わって娘はと言うと、保育園の先生と友だちが大好きで「パパお支度して、早く保育園行くよ!」と私を急がせます。親子でもこうも違うものかと感心します。その分ワガママで甘えん坊で、私の言うことはなかなか聞きません(笑)。

私は子供の頃両親の手を焼かせましたが、その当時の事を話す両親はなんだか楽しそうです。私もワガママで甘えん坊な娘の事を、将来大きくなった娘に話して聞かせたいと、今から楽しみです。

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2011/06 うめ組保護者 藤井様

母の思い出

私も子供の頃、保育園に通っていました。当時の私は元気いっぱいのいたずら好きで、保育園の先生をよく困らせていました。保育園は大好きでした。でも仕事が忙しかった母は夕方迎えが遅く、事情が分かっていたものの「うちはなんで迎えが遅いのだろう」と寂しく感じたこともありました。

やがて小学生になった私は、地元の少年野球のチームに入り、毎週日曜日は練習に行くようになりました。そこで、楽しみにしていたのは、お昼に母お手製のお弁当を食べることでした。

日曜日ということもあって、お弁当屋の弁当を頼む子も多かったのですが、母はいつも手作りのお弁当を持たせてくれました。中でもおいなりさんのお弁当が美味しくて大好きでした。今でもおいなりさんを食べるときには必ず、母のお弁当を思い食べていた少年時代を思い出します。本当に懐かしくなります。

娘にも妻と私と両方で、たくさんの楽しい思い出を作ってあげたいと思っています。

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2011/05 たんぽぽ・うめ組保護者 佐竹様

兄弟ゲンカもまた楽し

私は四人兄弟の三番目として生まれ、とにかく「遊ぶ子」でした。
両親はともに働いていたため、一日の大半は保育園で過ごしていました。外がどんなに暑くても、どんなに寒くても、当時は珍しかったハーフパンツで走り回っていました。そんな保育園での時間が大好きで、親が迎えに来ると毎回「もうむかえにきたの?」といっていたそうです。
家に帰ると姉二人とよくケンカをしていたので、頭に鍋をかぶり自分の身を守っていました。しかし兄弟ゲンカも私にとっては遊びや学びの一つで、とても楽しい思い出になっています。

現在では私も二人の娘に恵まれ、その二人が姉妹ゲンカをするようになってきました。今は親としてそのケンカを見守っている事が、うれしくも不思議な気分です。
娘にはケンカをしても必ず仲直りをするよう教えています。勉強はちょっとできなくても、姉妹やお友達を大切に思える心豊かな人間になってくれたらと思っています。

うめ組になった娘も私に似て保育園が大好きなようです。今では娘が話してくれる保育園での出来事を聞きながらビールを飲むことが、一日の最高の楽しみになっています。

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2011/04 さくら・もも組保護者 坂田様

素晴らしい先生方に囲まれて

長女が入園してからこの四月で三年目となります。当初は、おとなしく人見知りの激しい長女にとって大人数の集団生活はどうかなと、不安に思った毎日でした。しかし先生方の親身なフォローにより、今ではそんな心配はどこかへ消えてしまいました。

改めて気づくのは先生方は大変なお仕事をされているなということです。
運動会・お遊戯会の指導や衣裳・道具の作成をはじめ、そうめん大会・おもちつき大会といったイベントが毎月の
ようにあり、普段からの工作も仕上げこそ園児がやるにせよ、先生があらかた準備してくれるものも多数あります。土日も保育やイベントがありますし、多くの時間を子供達のために費やしてくだきり、ただただ頭の下がる思いです。

実はこの四月から次女も鷺宮保育園にお世話になっております。長女の二年間を見ていますので安心して預けられます。

このような素晴らしい成長の場をいただいた鷲宮保育園の園長先生をはじめ、全ての先生方に感謝を申し上げるとともに、私自身も子供達の成長を楽しみに毎日を過ごしたいと思います。

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