お父さんの作文 2008年度

2009/03 さくら組保護者 小澤様

子供たちに残せるもの

私は幼少のころから、このわしのみや団地に住んでいます。
地盤沈下(当時は地盤沈下ランキングで一位になりTV取材も来たほどです)だけが難点ですが、そのための道路の冠水もおもしろい遊び場でした。

住めば都で、たくさんの幼少期からの良い思い出ができました。道路が舗装されていないところも多数あり、周りには子どもが遊べる自然がたくさん残っていました。私も秘密基地を作ったり、虫取りをして遊んでいたものです。そうそう、近所の田んぼでは当時はホタルも見られました。今ではさっぱりいなくなりましたね。

便利な社会がいいのは当たり前ですが、今の子供たちにも大事な子ども時代を、思いっきり自然で遊ばせてあげたいと思っています。
人工的な遊具だけではなく、自然のものを遊びに変える。大人はその手助けをしてあげるべきなんでしょうね。

慌ただしい世の中、時間も気持ちも余裕がなくなりがちですが、保育園での暮らしを見るとホッとします。
今の子供たちに何をしてあげるられるのかをもう一度考えたいと思っています。

 

2009/02 さくら組保護者 木村様

提案します キウイハズバンド

先日、机とランドセルが我が家にやってきました。
もも組の時に鷲宮保育園に転園して、長男の保育園生活も残りわずかであることを感じさせてくれます。
(とはいっても我が家にはもう一人次男がたんぽぽ組にいるので、こちらはまだまだお世話になるのですが)

我が家は私の職場が妻の職場よりも保育園に近いこともあり、父親である私が子供たちの送迎をしています。そのせいか保育園の行事も恒常的に私が参加することになりました。特に親子遠足と人形劇のお手伝いは三年間参加させていただき、普段の送迎では慌ただしかったり、時間帯が違ったりなどでお話できなかった先生方や保護者の方々ともお話ができ、とても有意義に楽しく過ごすことができました。

独身の頃ニュージーランドを訪れた際に「キウイハズバンド」という言葉を耳にしました。ニュージーランドの男性は、家事育児をとても大事にすることと、国鳥であるキウイはオスが卵を温めて雛にかえすことをかけてそう呼ばれています。 その頃は「ふーん」という感じで気にもとめていませんでした。

結婚し、子供を育て保育園の行事などに参加している今、言葉を思い返し、いざ実行しようとしてみるものの、そうはできないものですね。

見習いたい「キウイハズバンド」、皆さんはどう思いますか?

 

2009/01 つくし組保護者 鈴木様

私のお母さん

母はすべてにおいて私の良き協力者でありよき理解者です。
まず仕事に対しての理解は人一倍深く、自分も働いているにもかかわらず私の必要にも応じて手伝ってくれます。

そして子育てに対しては、個々に合った才能を見いだし、伸ばしてくれたやり方でした。私が小さかった頃、引っ込み思案でいつも姉の後をくっついて隠れている子でした。しかし、ある時期を越え、人前に立ち、思いや考えをきちんと発言ができ、負けず嫌いで何事にもチャレンジする人間へと育つことができました。
それはひとえに相談に乗ってくれて、悩んでいるときは必ずやさしい言葉と愛情を与えてくれた母がいたからです。そんな母に育てられて、私は本当に本当に幸せです。

私も三人の子供に恵まれ夫と協力し合い、とても幸せな生活を送っています。一人ひとりの性格に合った子育てはとても大変なことばかりですが、母を見習い楽しく笑顔ある母親でありたいと精一杯日々を送っていきます。

最後に、母に感謝の言葉を伝える機会をいただき、ありがとうございます。

 

2008/12 すみれ組園児保護者 津久井様

言葉ではない母の応援

「ただいま!」

「お帰り!」

週に一度自宅に帰った時の母とのあいさつです。
私は高校時代野球部の寮で生活をしていたため、週に一度だけの母とのあいさつでした。

この「ただいま」はいつも元気なただいまとは限りません。ヒットを打って早く家族に報告したいワクワク感たっぷりの「ただいま」もあれば、野球部を辞めたいことを伝えようと疲れきった「ただいま」もありました。どちらかといえば、後者がほとんどでした。

そんな時でも母はいつもやさしい声で元気に「お帰り!」を返してくれました。この「お帰り」で気持ちが癒され、さらにこんな時に限って新品の野球ソックス等が買ってありました。そのたびにこのソックスが履けなくなるまで頑張ろうと思い、「辞めたい」の一言が言えず三年間頑張ることができました。

母はなにかを教えてくれたというより、いつも優しく私を応援してくれました。今思えばそんな母の応援を裏切りたくない思いで何事も乗り越えられてきた気がします。これからも母から学んだ子供を応援するという気持ちを大切にし、子供たちが元気いっぱいに楽しく成長できる環境を妻と一緒に築いていきたいと思っております。

 

2008/11 たんぽぽ組保護者 高橋様

私のお母さん

私の母の生き様は私の目標です。

母は父と出会う以前から勤めている会社で、現在も正社員として働いています。
小学生の頃は、夏休みなどに目覚めるとすでに母の姿がないことに寂しく思ったことや、毎日家にいる友達のお母さんをうらやましく思ったことは一度や二度ではありません。しかし、母はどんなに疲れて帰ってきても、おいしい食事を用意してくれるなど私たち兄弟の相手を必ずしてくれました。休日には私たちのためにハイキングなどいろいろな場所に行き、いつも一緒に遊んでくれました。

大人になり、仕事と家庭を持つ立場になった今、私の目標は母です。
まだまだ「疲れているから」「やることがあるから」と子供に我慢を強いてしまうことが多いのですが、母のように子供を第一に考え、一緒にいられる時間が限られている分だけ、濃い時間を、楽しい思い出をたくさん残せるように日々努力していきたいと思っています。
そしてこの子が大人になったときに、お母さんのようになりたいと思われるような母親になりたいと思います。

 

2008/10 さくら組保護者 宮﨑様

自然から学ぶ

私のふるさとは兵庫県は播磨町です。
川や池、裏山、竹藪、稲刈りの終わった田んぼなど、豊かな自然の町でした。公園や学校のグラウンドなどでも遊びましたが、自然を相手に遊んでいたときの方が断然楽しかったように思います。

今思えば、我ながらヒヤッとする危なっかしいことや、やんちゃなことばかりです。川が急に増水して流されそうになったり、池に落ちてずぶ濡れになったり、山や竹藪でスズメ蜂に追いかけられたり、蛇を踏んでしまったり、田んぼに置かれている肥やしに足を突っ込んだり、その辺になっている柿を勝手に取って食べたら渋柿だったり・・・
両親はさぞかし肝を冷やしたことでしょう。でも、泥だらけ、傷だらけになって帰っても、それでも叱られた記憶はありません。のびのびと遊ばせてもらいました。おかげで自然のおもしろさ、不思議さ、怖さ、そして大切さを学ぶことができました。

鷲宮周辺にはまだまだたくさんの自然があるので、今の子供たちにもいろいろな体験をして欲しいと思います。そしてその体験を通して、たくさんのことを学んでくれることを願っています。

 

2008/09 つくし組保護者 岡嶋様

自然と遊ぶ

私は大利根町の純農村地域に生まれ育ちました。
私が子供の頃には、近所に「カブト山」なる雑木林があり、夏休みには早起きし、カブト山に出かけ、くぬぎの木の上のほうに這いついているカブトムシを見つけると、力一杯木を蹴り飛ばしたものです。隣近所の友達と自然を相手に夢中になって遊んだ幼少期でした。

私は一年しか保育園に通っていませんが、二人の子供はいずれも0才から鷲宮保育園で面倒を見ていただいています。上の子は今は地元の保育園に通っていますが、三才までお世話になった鷲宮保育園での生活はとても楽しそうです。園で教わった歌を口ずさみ、英語を発し、踊りを披露してくれます。

現在は地域において自然を素材に用いた遊びはしにくくなっています。
しかし、園の集団生活の中で、また趣向を凝らした様々な行事を通して、幼少期に貴重な体験をさせていただいている鷲宮保育園の子供たちはとても恵まれていると思います。
時には夜を徹して季節を体感させたいと、行事の準備等をしていただいている諸先生方、また調理職員の皆さんに心から感謝したいと思います。

 

2008/08 さくら組保護者 知久様

過去と現在

私の小さい頃は茨城県総和町にいて、遊びといえば、近所の友達と野球・サッカー・かくれんぼ・近くの川で魚釣り(ドジョウ・ウグイ・マス等)など、毎日服を汚して遊んでいました。

遊んでいるときは夢中になっていますが、帰る頃になるとお母さんに怒られるのではないかと不安になっていたのを思い出します。
でも両親はどんなに汚して帰っても怒りはしませんでした。その頃は「どうして怒らないの?」などと思っていましたが、自分がその立場になってみると、その時の気持ちがわかりますね。

その頃の両親の心配といえば、「交通事故や怪我が一番心配だった」と聞いています。しかし今はどうでしょう。もちろん交通事故なども心配ですが、最近の通り魔事件等を身近に感じるようになっています。
そんなことが多い世の中だから外で遅くまで遊ぶよりも、家でテレビゲームで、遊んでいる子供たちが増えてきているのではないかと思います。

私としては、今のゲームは考える力など勉強になるものも多いですが、外でたくさんの友達と元気に楽しく遊んでもらいたいですね。

 

2008/07 すみれ組保護者 服部様

子供らしく過ごす

私は幸手市に生まれ、田んぼに囲まれた中で育ちました。
小さい頃は他の子よりも小さく、体も弱く、風邪をひいたり熱を出したりと、その度にかなり心配をかけてきました。当時車の免許がなかった母は、バスと自転車で病院に連れて行ってくれました。私はそのときのやさしかった母のことを今でもよく覚えています。

元気なときは当時たくさんあった空き地で、木登りしたり虫取りしたり、やんちゃなこともたくさんしました。こんな私たちをいつも見守ってくれていたのが、先生や両親でした。いろいろな体験から、してはいけないことを怒られるからやらないというのではなく、親や友達が心配するからやらないということを学びました。

時代の流れもありますが、その流れの中でも、子供たちには少しでも自由に子供らしく過ごして欲しいと思います。またそうできるよう、自然に触れていろいろな体験をして、いい思い出を作ってあげられるようサポートしていこうと思います。

がんばれ! わし保の子供たち!
私たちは君たちを応援するよ!

 

2008/06 たんぽぽ組保護者 柿崎様

幼い頃の思い出

私の故郷は白岡町です。
幼い頃は家の周りには何もなく、野池や林などがあり、家の裏手には小川が流れていました。この小川にはメダカや雷魚、どじょうなど様々な生き物が暮らしていて、夏になるとホタルを見ることもできました。

この頃の遊びはザリガニを捕まえたり、釣りをしたり、林に秘密基地を作ったりと自然と触れ合う遊びがほとんどでした。

一番の思い出は、川の土手で遊んでいるときに二匹のすて子犬を見つけ、連れて帰ったことです。何とか両親を説得して、一匹は友達が、そしてもう一匹は私が飼うことになり、とてもうれしかったです。もともと犬嫌いだった私にとっては自分でも不思議な大きな変化だったと思います。

当時の遊びは今の子供たちにはなかなか体験できないようなことばかりでしたが、昔のような遊びを自分も楽しみながら子供に教え、さらには自然や動物たちの素晴らしさを保育園でも学んで育っていって欲しいと思います。

先生方、今後ともよろしくお願いします。

 

2008/05 さくら組保護者 中村様

私の田舎

私は鷲宮町で生まれ、そしてこの町で育ちました。

子供の頃は毎日、田んぼ・畑・小川・池・林などでいろいろな遊びや悪戯を近所のお兄ちゃんや友達とよくやったものです。

以前はこの町にもたくさんの自然があり、メダカ、かぶとエビ、そして蛍が多く見られ、私にとってここが私の田舎なのです。今では残念なことに多くの自然がなくなり、そして多くの物が変わってしまいました。

私の子供たちも、その時代の自分の田舎を見つけて欲しいと思います。
そして姉妹ともに園では大変お世話になり、日々の生活の中で二人にとって園はもう一つの田舎なのかなあと思います。

 

2008/04 すみれ組保護者 直井様

幼いころの思い出

私は東京の清瀬市という町で生まれ育ちました。
父も母も地方出身であったため、古くからの友人知人がおらず、そのせいか私も幼い頃は非常に人見知りをする性格でした。幼稚園には年中さんから通い始めたのですが、そこでも先生やお友達となかなかなじむことができなかったようです。

そんな私が幼い頃の思い出として記憶しているのが、父の帰りを心待ちにしていた風景です。
郵便局で働いていた父の帰宅時間は、いつも決まって午後六時でした。母に抱かれて駅方面から自宅まで続くまっすぐな道の先を見通して、そこに父の姿を見つけるととても嬉しい気持ちになりました。逆に飲み会などで定時に帰れず、六時を過ぎても父の姿が見えないときは何とも言えない寂しい気持ちになったものです。

娘は二歳になる前から保育園に通い始め、毎日先生やお友達に囲まれて楽しそうに暮らし、元気にたくましく成長しています。
環境に恵まれて、私にはなかった社交性を身につけているようで、とてもうれしく思っています。

私は仕事柄家を開ける日が多いのですが、できるだけ育児に参加して、娘が私の帰りを心待ちにしていてくれる、そんな父親になりたいものです。