お父さんの作文 2014年度

2015/03 つくし組園児保護者 三田様

私の子供のころ

早いもので娘が鷲宮保育園に通い始めて早一年が経とうとしています。
私の場合を振り返ると、どちらの祖父母にとっても初孫だった私は、家族だけでなく、親戚一同に可愛がってもらい、とても甘えん坊でした。三歳から保育園に通い始めましたが、いつも祖母と一緒に過ごしており、三月生まれでまわりの友達よりも小さかったため、入園当初は寂しさでいつも泣いていました。七月に妹が生まれ、もうお兄ちゃんだから泣かないんだよと言われ、ようやく泣かなくなり、友達とも遊べるようになったことを思い出します。
そんな私の娘でまだ一歳前の入園ですから、正直心配でした。しかし、入園当初こそ毎日泣いていたようですが、今はすっかり保育園の生活を楽しんでいます。つかまり歩きだった子が、日々できる事も増え、走ったり笑ったり喋ったりお手伝いしてくれたり・・・
自身の子どもの頃を思い出しつつ、娘の成長がとても嬉しく楽しみです。これからも先生やお友達と、たくさんの楽しい思い出を作ってもらいたいと願っています。

 

 

2015/02 たんぽぽ・うめ園児保護者 工藤様

水球で忍耐

私の幼少期は埼玉県川口市で、自宅周辺や近所の公園で鬼ごっこやかくれんぼ、虫取りなどで遊んでいました。兄弟や友達と喧嘩をしたり仲良くなったりをくり返す中で、幼いながら人間関係を学んだのだと思います。
私の学生時代は水球に打ち込み、一年中練習漬けの日々を過ごしました。その中で忍耐力を鍛えることができたのだと思います。
私には三人の子供がいますが、子供たちを遊びに連れていく場所は室内が多いです。もっと自然の中で色々なものに触れさせて行こうと思います。また、子供たちと触れ合っていく中で好きな事や得意な事を見つけ、色々な思いを経験し、成長できるようにサポートしていきたいと思います。
保育園の先生方は子供の性格を理解し接してくださり、感謝しています。わしのみや保育園を卒園した長男が大・大・大好きな先生に出会い、充実した三年間を過ごすことが出来ました。今通っている二人の子供にもたくさんの楽しい思い出をたくさん作ってほしいと思います。

 

2015/01 園児保護者 衛藤様

私の幼少期

私の幼少期はかなりのんきな子だったように思います。冬のある日、祖父宅の臼杵氷が張っている池に何も考えずに乗り、氷が割れて周りを慌てさせるというエピソードは、今でも親戚の中で笑い話になっています。一方、おとなしく友達の後をただついていくだけというような子だったので、両親は「大丈夫だろうか」と心配しながら子育てをしていたのではないかと思います。
そんな私と息子は似ている部分があるので、保育園生活が始まった当初は父として多少不安でしたが、その不安は無用だったようです。たくさんのお友達と過ごし、サッカーに夢中になっている生活を見ていると、安心するとともに頼もしさを感じております。また、もも組の娘はおしゃべりが好きで、毎日自分で洋服を選ぶ「ザ・女子」ですが、保育園での出来事を嬉しそうに話してくれるので、その話を聞くのが私の毎日の楽しみでもあります。これからも、わしのみや保育園でお友達や先生と、たくさんの経験をしながら成長してほしいと思います。

 
 

2014/12 もも組保護者 高橋様

伝承

私は宮城県仙台市の山間の町で生まれました。
父、母、兄、姉そして私の5人家族。遊びはもっぱら山遊び、探検、秘密基地作りなど自然の中で過ごしていました。兄や姉についていき色々と学びました。例えば危険な場所や楽しい遊び方、沢山の経験をしました。
一番大変な経験は山で友達と遊んでいたときに道がわからなくなり遭難しかけたとき。しかし、兄と以前行った場所が出てきて助かり、友達には泣きながら称賛され、自分に蓄積されている経験が大切なことに気づきました。男だからかもしれないけど、危険なことに直面したときに対応できる力があると人は成長できるものだと感じました。
今私は長女、長男の二人の子供に恵まれて4人家族になり、親になりました。親になり心配することも多いですが、沢山の冒険や経験をさせてあげることも人間力をあげることに繋がると思い、今子供にはスポーツや遊びのほかに色々な場所や風景を見せてあげたいと思って育児に励んでいます。
兄弟がいる家や例え独りっこの家でも信頼しあえる家族・友達や先生に出会うことで経験値は上がり、その経験をもとに次なるステップが出来ると信じています。今私の子供達がピンチや困難に直面して挫折したとしても、今いる家族・鷲宮保育園の友達や先生のサポートを受けながら成長していき、その時は嫌なものや辛いこと、気に入らないこと理不尽なこともあると思いますが、子供の考え方がその時正しい選択ができて正しい行動をして、これからの自分自身の糧に出来るように伝えなければいけないものがこの経験で得られた対応力だと思っております。

 
 

2014/11 もも・たんぽぽ組保護者 杉山様

子どもたちとの生活

もも組とたんぽぽ組に兄妹で通わせて頂いております。入園してから3か月、親として先生方を困らせる事があるのではと案じております。でも、園での1日の出来事を一生懸命話してくれる様子をみると、充実した日々を送っていることがわかり安心しております。
でも、朝早く帰りの遅い私は子供たちの寝顔だけ見る毎日です。週末になると2人共「パパ、パパ」と私にべったりです。もう少しゆっくり寝たいと思いつつ、かわいい笑顔にうながされ結局朝から喜んで遊んでしまうパパです。
友達と仲良く、協調性を持ち、鷲宮保育園に慣れて日々楽しく成長してくれたらと願っています。

 

2014/10 たんぽぽ組保護者 高橋様

楽しみな愛娘の成長

私の幼少期、両親共働きでしたが、母の職場(実家)から歩いて幼稚園に通園していました。
当時、園の給食は菓子パンの日があり、数種類ある中からタイミング悪くウグイスパンになると非常にがっかりし、いまだに苦手です。娘が毎日美味しい給食を頂いている事を羨ましく思います。
娘は、一歳になるちょっと前に鷲宮保育園に入園させていただきました。親の都合とはいえ淋しい思いをさせているのかもしれませんが、日々先生方やお友達から教わる手遊び、仕草を楽しそうに見せてくれる娘の様子から、充実した園生活を送っている事と安心し、嬉しく思います。
園での様々な経験、思い出の一つ一つを娘の大切な宝物として成長してほしいです。

 

2014/09 すみれ組保護者 東家様

驚きの連続!

保育園に入ってすぐの頃は、「今日は誰と遊んだの?」と聞くと、いつも「しぇんしぇ~(先生)」としか答えなかったのですが、最近は友達の名前を次から次に出してきます。保育園で歌った歌を歌ったり、英語(アルファベット)まで喋りだし、子供の成長の早さに驚く毎日です。
そんな我が子は私が朝出勤するときには見送ってくれて、仕事から帰ると窓を開けて毎日出迎えてくれます。電車が大好きで洋服も靴も靴下までも新幹線です。
子どもの頃は泣き虫だった私と同じで、泣きだすと止まりません。保育園でも毎日ご迷惑をかけているのではないでしょうか? 先生方には頭が上がりません。
これからも鷲宮保育園で色々な物に興味を持って、大きく成長してください!

 

2014/08 うめ組保護者 藤田様

幼児時代と夏休みの思い出

私は3歳の時、生まれ育った町から別の町に移り住みました。
当時、環境が変わったせいか保育園に行くのが嫌で毎朝母親を困らせていたのを今でも覚えております。現在、我が娘が喜んで保育園に登園する姿は、親にとって本当に幸せで頼もしい限りです。
夏休みの思い出と言えば、毎年両親と兄と四人で新潟の海岸に海水浴に出かけた事です。
一つ上の兄と日が暮れるまで浜辺で遊び、自分だけは魚介類が苦手で食べられないのに夕食時にテーブルいっぱいに並べられた魚介類が今でも記憶に残っています。大人になった今でも生の魚介類は食べられません。
幼少時代の思い出は大人になって思うとかけがえのないものだと思っております。自分の子どもに対して私が経験した事や色々な体験をさせ、やさしく思いやりがある人間に育ってもらいたいものです。

 

2014/07 さくら組保護者 大久保様

楽しい保育園

私の家は自営業をしていたので、いつも家には両親、祖父母がいる環境で育ちました。
幼少時代は、祖父の自転車の後ろに乗り、毎日の様に近くの駄菓子屋へ連れて行ってもらったのを覚えています。
私達は共働きの為、息子にはさみしい思いをさせる事もあるかもしれませんが、家では保育園での出来事を笑顔で楽しそうに話してくれます。
友達と保育園で過ごすのが本当に楽しいようです。娘も数年前に鷲宮保育園をたくさんの友達を作ってたくさんの楽しい思い出と共に卒園しました。息子も後1年弱ですが、やさしい先生方とたくさんの友達と勉強したり、遊んだりのびのびと成長して鷲宮保育園でたくさんの思い出を作って下さい。日々の成長を楽しみにしています。

 

2014/06 さくら組保護者 久保様

幼少期の思い出

私は小さい頃からちょっと落ち着きがなくて末っ子だった為、いろんな人たちに迷惑をかけました。近所のお兄ちゃんお姉ちゃん、いとこのお兄ちゃん、お姉ちゃんたくさん遊んでもらったものの、いつもちょろちょろしていた為「チョロ志くん」(名前の最後が「志」のため)と呼ばれていました。
そんな小さい頃の出来事で一番の思い出は母とスーパーに買い物に行った時のことです。試食コーナーのまわりをいつもの様にチョロチョロしていて、足が台にあたったのか、ものの見事にウィンナーの試食台が倒れ、並べてあったウィンナーが全て崩れたのを覚えています。その後は、母親がスーパーの方々に謝り、その姿を見て「あ、チョロ志は卒業しよう」と思った瞬間でした。
我が子も色々な経験を重ねながら成長していくことでしょう。これからの子どもの成長が楽しみです。

 

2014/05 園児保護者 木村様

自分と比べて

私は幼少期、隣町の幸手市で過ごしました。食がほそく痩せ型小柄な体型で、並び順はいつも一番先頭でした。一人っ子だったので、一人遊びが多く物静かな子供時代だったと思います。
そんな私が三人の子どもを持つことができるなんて本当に感謝感激でいっぱい嬉しい限りです。毎日ほほえましく兄妹の楽しそうな遊びやケンカを見ていると、とても羨ましく感じます。特に3月に卒園した長男は家族の中心的存在で、いつも笑顔とユーモアたっぷりな話で和ませてくれます。一番大変な「妹の相手」をしてくれます。強いものから弱いものを守るヒーロー的精神は父親の私でさえ尊敬ものです。
みんなよく食べよく寝てよく遊び、保育園や妻である母親のDNAのおかげで「やせちび」ではなく「元気っ子」でホッとしています。これからの成長が楽しみでたまりません。

 

2014/04 うめ組保護者 山川様

私の保育園

私の古い記憶は、祖父が運転する自転車に乗って保育園に送ってもらうことです。
私の父親・母親はともに働いており、やはり私も保育園に通園していました。当時は保育園でも家庭でもとても楽しく過ごしていましたが、もちろん、共働きの家庭ですからそれなりに寂しい思いもしました。しかしそれ以上に、両親は精一杯に私に愛情を注いでくれていたことはわかりましたし、働く姿をかっこいいとも感じました。
そして、自分に子供が生まれ、共働きを選択しました。私たちが働く姿を見て、私の両親と同じように愛を感じて欲しいと思います。これから、寂しい思いをさせることもあるでしょうがそれ以上に鷲宮保育園や家庭で楽しい思い出を作ってあげたいと思います。