お父さんの作文 2009年度

2010/03 つくし組保護者 篠崎様

子供の成長と社会

わが家は、私、妻、食べ盛りの長男、雑貨集めが好きな長女、そしてやんちゃな次男と五人のにぎやかな一家です。

鷲宮保育園にお世話になって次男も一才九ヶ月になり、ますますやんちゃっぷりを発揮、といったところでしょうか。
最近ではいろんな事を自分でやりたい、というような行動が増えて、楽しくもあり、また目が離せないくらい成長しています。外で遊んでいる時、お兄ちゃん、お姉ちゃんに遊んでもらおうと必死で後をついていくのを見ると、ふと、よく姉にくっついて遊んでもらった頃の自分を思い出し、懐かしく思います。

最近妻と社会の少子化の話をしていて、女性側からの意見として、「小学生になっても母親が安心して子供を預け、就業できる環境を社会全体で考えて欲しい」と言っていました。
子供を持つ親が働くことのリスクを補い、サポートできる体制が社会に、特に個々の会社に足りないと私も感じます。

少しでもおいしいものを。
少しでも楽しい時間を。
少しでもいろんなところへ。
子供を持つ親ならごく自然に思うでしょう。
だから母親も「少しでも…」と思い、社会に出て行くんだと私は思っています。
今年度は鷺宮町も新久喜市になります。活気あふれる街づくりをと期待してやみません。

 

2010/02 うめ組保護者 藤崎様

子供時代の思い出

小学校入学時、当時仲良し三人組と剣道クラブに入りました。
楽しさを予測する自分にとって、厳しい現実が待ち構えていることなど知る由などありません。毎週日曜日と、行く回数は少なかったのですが、学年を増すごとに剣道へ行くのがいやになり、無理やり母親に連れて行かされたことを今でもなつかしく思い出します。小学校生活六年間、母の影響により何とか通うことができました。

中学校に入り、兄の影響もあり、剣道とはまったく違う野球部に入部しました。
なぜか? 剣道をやっていたことで鍛えられたせいか、遠投については学年一飛距離がでました。中学校三年では市の選抜に選ばれるなど、高校にも推薦で入学することができました。今現在の職業についても野球を一生懸命やったおかげで入社することができ、社会人ではいろいろな大会で優勝し、あこがれの東京ドームで野球をすることもできました。
これも子供のころ、母親に剣道をやらされたおかげで、体力・精神面共に鍛えられた賜物だとしみじみと実感いたします。

自分の子供にも何か一つ自分のやりたいことを一生懸命やってもらいたいと思います。
また保育園でのレッスンがきっかけでピアニカが大好きらしく、お姉ちゃんと同様、ピアノをやらせてあげたいと楽しみにしています。

子供たち! 何事にも挑戦し、がんばってください!

 

2010/01 もも・うめ組園児保護者 町田様

四季折々の行事を振り返って

子育てをしていると、一年のサイクルがとても早く感じます。
特に鷲宮保育園の四季の行事は豊富で、子供と一緒に指折り数えて過ごしています。

春は新しいお友だちや先生との顔合わせで緊張気味にスタートしても、子供会や遠足ですぐ打ち解け合え、七夕祭りやサマープレイナイトで夏を楽しみ、秋にはぶどう狩りや芋掘り遠足で味覚を楽しみ、運動会で子供の成長ぶりを親も楽しみ、クリスマス会やおゆうぎ会では先生方の労がうかがえて、感謝の一語です。

まだまだ書き足りませんが、子供たちが元気に保育園に通っているのは、こうした行事を通して四季を楽しんでいるからでしょう。昔ながらの行事を大切にしながら、新しいものも取り入れる鷲宮保育園に子供たちを通園させることができて、本当に良かったです。
私も童心に帰って、これからも鷲宮保育園の暮らしを一緒に楽しみたいと思います。

 

2009/12 たんぽぽ組保護者 南様

久しぶりの子育てを楽しんでいます

鷲宮保育園でお世話になる子供は三人目になります。上は中学二年、小学六年です。三人目はだいぶ遅く生まれてきた子供で初めての男の子! 四十年前の自分を見ているようで妙な感じです。

泣いているときやいたずらをしているとき、ご飯を食べているときなど、自分もこうだったんだ~。両親は今の私と同じようにわが子に接していたんだな~。と思うことが多いです。
まだ言葉も思うように出てきませんが、いろいろと父親の思いはふくらんでいきます。キャッチボールをしよう、サッカーをしよう、あの山に登ろう、スキーをしよう、海に行こう! きっと私の父親もそう思っていたのでしょう。今も思っているのかも知れません。

保育園とわが家の距離は近いので、帰りは暗闇のなか、二人で走って帰ります。遊びながら、止まりながら。十年ぶりの子育て。二度目の人生を生きているような、なんだか得をした感じで子育てを楽しんでいます。

 

2009/11 もも組保護者 田村様

芋掘りの思い出

「きょう、こんなにおおきいおいもとったんだよー!」息子は両手を大きく広げて満面の笑顔で芋掘り遠足の話しを始めました。まだちょっと土のついた顔が奮闘を物語っています。

私も保育園時代、芋掘り遠足に行きました。母と一緒に掘ったサツマイモは、土がたくさんついているにも関わらずキラキラ輝いて見えました。家族で一緒に食べると、父母に「おいしい!よくとれたね」と言ってもらえて、子供ながら大きな仕事を成し遂げた達成感と充実感でいっぱいになり、今でも大切な思い出です。

今回の鷲宮保育園の芋掘り遠足は、先生方による細やかな段取りや、重たいツルの処理、調理してくださる先生、農家の方のていねいなお仕事といった、見えない準備に支えられ、子供にとってすばらしい思い出になりました。二児の親となり、これからは私も子供たちを支えていく番になりました。子供たちのかけがえのないこの時期を、たくさんのすてきな思い出で満たせるよう、支えていけたらと思います。

息子よ「よくがんばったね。とてもおいしいよ!」

 

2009/10 もも組保護者 小石様

やさしい母のみそおにぎりの思い出

「ただいまー おなかがすいたよー なにかつくってー!」

遊び疲れて帰ってきた私に母がよく作ってくれたのは「みそおにぎり」。
ほかほかだけどちょっとだけ固くなった残り物のごはんに、みそでたわらおむすびにしてくれた簡単なものです。
しかしそのちょっとした固さがちょうど良い歯ごたえで、味噌の風味が広がりました。口腔いっぱいの満足感でした。母親の手の温もりも感じさせるからでしょうか、何個もおかわりをせがんだものです。

私が父親になって実家で久しぶりに作ってもらった「みそおにぎり」。とてもなつかしくておいしくて、息子も一緒になっておいしそうにほおばっていました。

その母のなつかしい味…  今度は親になった私が息子にしばしば作ってあげることにしたいと思います。

 

2009/09 うめ組保護者 小椋様

夏の思い出

「わーい!キャハハ♪」楽しそうな子供の声。自分の子供が喜んでる時って親もうれしいですよね。夏の思い出といえば、花火に祭り。今年は鷲宮町の祭りに保育園の祭りと、子供にとっては楽しい行事が盛りだくさん。

鷲宮町の祭りでは、今年は地区の行事としてハッピを着て山車を引き回したので、ここぞとばかり子供を山車に乗せてあげることができました。子供は大喜び(笑)
そして保育園の祭りでは、気づいたら舞台にヒョコヒョコ上がってマイク持ってました。

な、なにしてるのか !?

自ら志願して上がっといて…歌えませんでした(笑)
次のトトロの曲なら歌えたのに残念!

しかしよく舞台に上がったな~と感心しちゃいました。なぜか歌ってたお兄ちゃんになついてたのが笑えたけど。まだ早いぞ~(笑)

保育園の祭りは、歌や踊り、ゲームありと、園長先生始め先生方や保護者の方達が子供向けに作ってくれたおかげで、子供はとても楽しめたと思います。
親子共々、夏の良い思い出作りができました。ありがとうございます。

 

2009/08 もも組保護者 小林様

父の思い出

父との思い出といえば、小学校に上がる前は、毎晩父と一緒の布団で寝ていました。
その頃私はオネショ癖があり、明け方に粗相をしてしまうことがまれにありました。そんな時、父が苦笑いをしながらていねいに着替えさせてくれたことを覚えています。
私は寝ぼけながらもたもたと着替えていたはずですが、けっして怒らずに、子供の失敗を優しく受け止めてくれていたのだなあと思い出すのです。(ただし寝る前にトイレに行かないと、きつーく叱られていましたが)

その他にもお手伝いをしようとして失敗した時にはやさしく、いたずらやわがままをした時にはきっちり叱られたと記憶しています。

今では自分が親となって子供と接していますが、あの時の父と同じように、失敗を受けとめてあげることと、きちんと子供を叱ることを心がけています。

 

2009/07 さくら組保護者 斉藤様

井戸水の思い出

私も、私の父も、私の祖父も、そのずっと前の時代から、この自然豊かな鷲宮町で育ってきました。

私の子供時代の自宅周辺では、夏になると庭の木に何十匹のカブトムシ、クワガタなどが集まり、夢中で捕まえていました。
近くの“河”では、水中ゴーグルで透き通ったとてもきれいな水中を探検しました。自宅の井戸水をガブガブ飲んでいましたが、ほんの十数年という短い間に、目には見えない、ものすごい“時代の変化”というものを体で感じてしまいます。今、カブトムシたちはどこへ行ってしまったのか…
あの河も濁ってしまい、コンクリートになってしまっていて水中はとても見えない状況です。井戸水も衛生的でなくなってしまいました。

人間の住みやすい環境へ変化しているのでしょうが、何だかすごい寂しい感じがしてなりません。私の子供たちには昔の話をすることしかできませんが、少しでもそれに近い経験をたくさんさせてやりたいです。
私が夢中になり、楽しく過ごせた、この地ならではの遊びを…

 

2009/06 もも組保護者 鈴木様

母の献立

母との思い出になるかわかりませんが、母は家事と写真館の仕事を忙しくこなしていました。特に印象に残っているのは、忙しい中いつも食事のたびに料理が和洋種二種類以上テーブルに並べてくれたことです。
後でわかったことですが、父が好き嫌いが多いため、子供たちには好き嫌いがない子に育てようと、食事を父と分けて作ってくれていたのでした。
そのおかげで私は肉も魚も野菜も嫌いな食べ物がほとんどありません。

あらためて母に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして同じことを私の妻が実践しています。

両親がともに働きながら子供たちを育てていくことは大変なんだなあと感じているところです。

毎月保育園の給食の献立表を見ておりますが、栄養士さんたちが考えて作ってくださるバランスのよい給食を子供たちが毎日いただけて、ありがたく思っています。

 

2009/05 さくら組保護者 阿部様

ヒーローは不滅です

私が小さいころは、テレビのヒーローものが大好きでした。
ピンチにさっそうと現れ、変身し、敵を倒して去っていくという姿にあこがれを持っていました。変身ポーズを何度も鏡に向かって練習していた記憶があります。

そんなヒーローは今でもヒーローのままでいます。私が大好きだったウルトラマン、仮面ライダーは息子も大好きです。もう三十年も経っているのに、テレビやゲームでも見ることができます。しかも数段かっこよくなって!

いつまでこのヒーローものは続くのでしょう。あと数十年経てば、息子が子を持つ世代になります。その頃まで続いていると、親子三代でヒーローものの話ができます。

どうか続いていますように。

 

2009/04 うめ組保護者 相澤様

外遊びで学んだ多くのこと

私の子供時代は今とは違って、バスや家族の送り迎えもなく、近所の友達と一緒に歩いて登園していました。

田舎育ちのため、途中の雑木林やあぜで道草していたものです。
季節季節に盛りを迎える植物、小動物など道草のターゲットとなるものには事欠かなく、私の好奇心を十分に満たして余りあるものでした。
道具の作り方、タイミング、危険なこと、食べ頃、生き死になど、数をあげればきりがありません。それらとの付き合いの中から多くのことを学んできました。

とにかく外で遊んでいた記憶が保育園の生活の中でやっていたことより、はるかに上回っています。

さすがに私の保育園時代は今とは全く違っていますが、子供たちにはどんどん外で遊んでもらいたいと思っています。